手紙

メールはともかく、手紙ってもう全く書いた記憶がない。そのことに先日、人との雑談の中で気づかされた。

「最近、手紙って書いたことある?」

そう訊かれ、考えてみたのだけれど、手書きで手紙を書いた記憶なんて全くなかった。なので、そのままこたえた。

「ないな」

だいたい手紙を書くための便箋も封筒も家にはない。切手の一枚もない。まあ便箋なんてリーガルパッドで代用できるけれども、何せ字が汚く、人様に堂々と見せられるレベルではないし、手紙どころか、もう年賀状も出さないので、ハガキすら書いたことがない。ただ、毎年、年賀はがきを触ってはいる。自分ではもう全く出さないし、出さないので営業的なモノ以外は来ないのだけれど、親の年賀状を作って印刷しているので、ハガキは年に一回、いちおう書くというか作っている(イレギュラーで喪中のハガキも含む)。

しかし手紙やハガキの手書きとなると、たぶん十年とか下手したら二十年とかいうレベルで書いたことがない気がする。というか、書く理由も機会も全くない。旅先から絵葉書を、みたいなシチュに憧れみたいなものはあるものの、国内だろうが海外だろうが、たいていはお手紙より書いた本人が先に帰ってきてしまいそうで、くだらないから書いたことはない。

そもそも横書きならまだともかく、字を縦に書くと、なんか字の連続を全体的に俯瞰した時に、一行が背骨のない軟体動物みたいで、見た目が悪すぎる。たとえ罫線が縦に引かれているとか方眼とかで、その縦のラインをガイドにして書いていくとしても、なんか変になる。

それでもハンズやロフトへ行くと、便箋や封筒のコーナーというか棚はあるので、ニーズがないわけではなさそう。メインの客層は、勝手に、お年寄りか女の子の学生なのではないか、と思っているのだけれど、本当のところはわからない。というか、今どきの10代とか若い女子が手紙なんか書くのか? というシンプルな疑問はある。

だいたいこの手紙の会話をした相手は、まあまあいい歳した女子だったのだけれど、自分も最近は全く書いた記憶がない、と言っていた。年賀状はちょっとだけ出しているらしいけれども。で、訊いた。

「なんで自分も書かないのに急に手紙なんか気にしたんだ?」

するとその女子は、なぜか妙にニヤけながら、そしてなぜか勝ち誇ったようにこたえた。

「JKの頃に貰ったラブレターが出てきたw」
「何十年前や?w 物持ちええなw」

と茶化したら、「うるさいわw」と冗談めかして怒っていたけれど、そこでふと考えてしまった。

自分も中坊高坊くらいの頃に色気づいた小っ恥ずかしい手紙みたいなモノを書いた記憶が、なんとなくある。ということは、相手が誰だったかさえもう全然覚えていないけれど、そのよく覚えていない誰かが、もしかしたら今回の女子のように今も自分が渡したその小っ恥ずかしいブツを持っているかもしれないという可能性がゼロとは言い切れない。

それを想像したら、恥ずかしすぎて、死にたくなった。そして、そんな物持ちの良い誰かががこの世のどこかに実在するなら、このまま一生会わずに済ませたいものだ、と願ったし、もしも今でも持っている人がいたら、頼むからとっとと捨ててくれ、と思った。

ところで、ぜんぜん手紙とは関係ないのだけれど、ただの日本語の違和感として「サッカーの腕を磨く」というものに、いつもモヤモヤとしたものを感じてしまう。もちろん意味はわかるし、言葉としても正しい使い方なのだろうけれども、サッカーって磨くなら腕ではなく足だろう、と。