と或る、架空の事件

登場人物

  • A子 B雄の妻で子持ち。現在は再婚し、別の人と家庭を築いている。
  • B雄 死亡。自殺として処理されている。A子との夫婦仲は良くなかった。
  • C A子が当時浮気をしていた男友達。
  • D A子の兄。B雄の先輩であり、仕事仲間でもあるが、当時ふたりは揉めていた節がある。
  • E A子とDの父親。当時は警察官。
  • F B雄の父親。
  • その他 B雄などにシャブを回していた胡散臭い友人達

事案

十ン年前のと或る夜、草木も眠る丑三つ時。
突然A子から、当時の遊び相手であるCのところへ「夫を殺しちゃった」と電話がかかってくる。それを聞いてCは急いでA子の自宅へと駆けつける。
着くと、確かにB雄がなんとも手際良くナイフで刺され、血塗れで死んでいる。
「本当にお前がやったのか?」
などと詰問していると、真夜中だというのに、誰かが家にやってくる。慌てて灯りを消し、Cは家の中で隠れ、A子は寝室に入る。
家にやってきたのはB雄の父親のF。真っ暗な部屋の中に入ってきて、灯りを点けると息子のB雄が血を流して死んでいて、警察に通報。
そうしている隙に、隠れていたCは、Fに気づかれないように家から脱出。

やがて110番通報を受けた所轄の警察が臨場。このとき、警察官として同業だからか、近所に住んでいたからか、それともA子とB雄が住んでいる現場の家が自分の息子のDの名義であるからか、理由は不明だが、なぜかA子の父親のEも現れる。この父親のEはその数日前に「娘(A子)が夫からDV被害を受けている」と最寄りの警察に相談済み。ちなみにA子は同じ家の中にいたが、子どもと一緒に寝ていたので、夫の異変には何も気づかなかったと証言。

B雄は刃物で刺されて死亡していたが、凶器と思われるナイフは体に刺さったままではなく、既に抜かれている状況で、しかも自分で自分を刺したにしてはなかなか難しい傷のつき方だったが、かといって女のA子にやれるような刺し方ではなかったし、発見者で通報者の父親による犯行とも考えられず、しかもB雄はポン中でもあったため、結局、警察も(なんか不自然な死に方だけど、妻である女にやれる殺しじゃないし、ポン中なんて何するかわからんし、奥さんは同業者の娘さんだし、まあ訳わからんショーモナイ自殺やろ)と軽く適当に扱い、発作的な自殺ということにしてさっさと処理。

想像できる解の一例

B雄が自殺ではなく他殺で、しかし女のA子に実行可能な殺し方ではなかったのなら、いったい誰が犯人なのか。というか、全く関係ない第三者的な強盗や殺し屋などによる犯行ではなく、関連する登場人物がAからFの六人で全員で、この中に犯人がいるとしたら誰なのか。関係者としては他にもB雄にシャブを回していた悪いお友だち達なんかいるだろうだけれど、事件には直接関係はしてなさそう。

実はCがやった、というのも考えられる。A子から「殺しちゃった」という突然の真夜中の電話というのが嘘で、本当はA子と結託し、というか薬物に溺れていてしばしば暴力を振るってくる危険人物の夫を自殺に見せかけて殺してくれ、そうしたらあんたと一緒になれる、みたいに上手いこと言われて頼まれ、殺した、という図も考えられないではない。惚れている女に頼まれたらそれくらいする男はいるかもしれない。B雄のDVに関してはA子の父親によって警察に相談済みだから、信憑性の裏打ちも問題ない。

しかし、それはあくまでもそういう設定の絵に過ぎず、実は更にその絵を内包する別の大きな絵を描いた者がいて、当日の夜中にB雄の父親さえやって来なかったら、本当はCも殺し、B雄とCがA子を巡る痴情の縺れから喧嘩になり殺し合いになってしまった、という構図を完成させる予定だったことも考えられる。つまり、何者かがB雄を殺した後に、A子に呼ばれてCがノコノコとやってきた時にはそのまま家の中に潜んでいて、隙を見てCも殺し、まるでB雄とCが殺し合いの喧嘩をしたかのように演出し、立ち去り、そのまま朝になって、A子が起きてくると家の中には血塗れの死体がふたつ転がっていて、びっくりしながら慌てて警察に通報、という筋書きの完全犯罪が成立する。争った二人とも死んでいるし、なんならB雄が夜中に突然やってきたCに激昂し、殺してしまい、しかしふと我に帰ったら自分のしでかしたことの重大さに怖くなって発作的に自殺を図った、なんてお話が成立すればもっとも破綻がないのだが、B雄の父親が真夜中に登場という想定外の展開によって全ての歯車が狂ってしまったため、頓珍漢なことになってしまった。

そう考えると、B雄が自殺ではなく他殺なら、果たして実行犯は誰なのか。そもそもB雄の父親のFが家にやってきた時に、家の中にいたのはA子とCだけだったのか。実はもうひとり、誰か潜んでいたのではないか、という疑念が生ずる。

B雄は自殺ではない。
A子は全体図を承知していたかもしれないがB雄を殺すことはできない。
Cは、本人の言葉を信じるなら、やっていない。というかどのみちA子とB雄は上手くいってなかったのだから、Cにはとくに殺す理由がない。
B雄の父親のFには息子を殺す動機がないし、自分でやったなら不自然極まりない真夜中という時間帯にわざわざ息子の家に来て死体を発見し警察に通報するなどという意味不明なリスクを犯すとは思えない。
そして、さすがに現役の警察官であるA子の父親であるEが犯人ということは、やはり動機がないし、ディレクター的な役割として全てを承知している立場だった可能性はあるものの、実行犯としてはまず考えられないし、いくら警察官といっても「他殺」を「自殺」にできるほどの権力などない。

と、なると、登場人物の中で残る人物は一人しかいない。ポイントは、この残ったひとりに、確固たるアリバイがあるのかどうか。あれば振り出しに戻るし、なければ疑念が深まる。しかし事件発生時刻が一般的な人なら通常は寝ている時間帯だから、「家で寝ていた」と主張されたらどうしようもない。そんな時間帯にはアリバイなんか証明できなくて普通。世の中のほとんどの人だって、夜中の二時や三時の自分のアリバイなんか証明できない。あとは、動機。人を殺すなんて生半可な気持ちでやれることではないから、それ相応の動機が絶対に必要。それほどまでの殺害動機があったのかどうかも解明しなければならない。

そして何より、もしもその残ったひとりが犯人となれば、A子の親族が犯人ということになるから、現在のA子の再婚相手が困ったことになる。もちろん現在のA子の夫が事件そのものに関与していた可能性はゼロだが(A子と出会う前のことなので)、だとしても現在のA子の夫の立場的に、自分の妻が殺人犯の妹(しかも事件に関与している可能性あり)、というのはそうとうまずいし、絶対に認めるわけにいかない。

いずれにしても、ひとまずA子の現在の夫の立場は横に置いておくとしても、今更ながら実は『事件』だったなんてことになれば、所轄の警察の杜撰な初動が問題になるし、十ン年と放置し続けた警察組織の体制も弾劾されかねず、警察のメンツ丸潰れ不可避。

よってこの架空の事件はポン中の『自殺』で押し切るしかない。