オヒトリサマ

休日の夜、二人で外食をした。で、まあたまには、ということで、鰻を食いにいった。ぶっちゃけ最近の鰻は高いので、庶民としてはそうそう食えるものではなく、自分の中では贅沢メシのひとつ。このときも結局ふたりで一万超えたし。

そもそも和食があまり好きではないので、鰻とか寿司とか縁が薄い。ただ、寿司はそうでもないけれど、鰻はけっこう好きだし、ときどき無性に食べたくなることがある。だからというわけでもないけれど、鰻を食うとなったら、ケチらず、まあまあ名前の通った店へ行く。どうせ食うなら美味いものを食いたい。鰻だけ買ってきて食うとしても、スーパーとかではなく、ちゃんとした魚屋が焼いている国産を選ぶ。時期によるのか、牛丼チェーンでも鰻をやっていることがあるけれど、食べたことはない。なので、美味いのか不味いのか知らないし、牛丼屋なら牛丼を食いたい。といいつつ吉牛は牛丼よりから揚げ丼が好きだけど。

で、その日も、有名店へ行ったのだけれど、相変わらずすごく混んでいて、念のためにちょっと早めに行ったものの、一時間半くらい待った。ただ、その日は一日中はっきりしない、小雨がパラついているような天気だったので、客足も鈍かったのか、一時間半ならたぶんまだマシな方だった。ふつうの休前日の夜なんて、もっと待たされることがある。

それはともかく。
その店は有名店のため地元の人だけでなく、観光客とかヨソ者もたくさん来るので、待っていると実に様々な人を見ることができる。「あいつら何語喋っとるんや?」というグループもいたりするし、中には地元民か観光客かイマイチわからないけれどお一人様の男の人とかもいて、「ねえねえ」と隣に座って一緒に待っていた同行者に肩をつつかれ、小声で訊かれた。

「あんた、こういう店、休みの混んでる時に一人で来られる?」
考えるまでもなく、即答する。
「無理だな」
「でも、ひとりで旅行行った時とか、どうしてるの?」
「ひとりでこんな高い、有名系の店は行かんし」
「コンビニとかで済ますの?」
「さすがにコンビニはないけど、せっかく非日常的なところへ行くのだから、どこかでは食う。ていうか、おまえ、旅行先とかでひとりでこういう店入れるの?」
「名物系ならひとりでも入ると思うけれど、これだけ混んでる時はちょっとハードルが高いかも」
「周りがグループとかカップルとか家族連れとかばっかだもんな、この長い待ち時間をひとりで潰すのも辛いし」
「だよね、でも京都で一緒に行ったラーメン屋さんとか、ひとりでも行ってるでしょ? しかもちゃんと行列に並んでw」
「新福とか旭とかは、一人客もふつうにいるから気にならんし、それにおれらは日常的に食べられるものでもないから並んでも食う」
「そんなもんかあ」
「今ここにいる人らもそんな感じだろう、鰻なんてしょっちゅう食うもんでもないし、名前の通った店だから話の種になるだろうし、仕方なく長時間待ってるんじゃないか?」
「まあね、ここもXとかインスタとかに溢れてるしw」
「だろ」
「うん」
「それに、ラーメンくらいならいいけど、ひとりで高いもんを食うのはなんかもったいない気がする、ていうかおれ、食いもんに対する欲望ってほとんどないじゃん? だからひとりだったら外で鰻なんてまず食う気にならん」
「そのへんはあたしと違うね、あたしはひとりでも美味しいもの食べたい」
「そうだな。もしもこの今の状況が旅行先で、おれひとりだったら、こんなに待つのは嫌だし、たぶんマクドとかで済ましちゃうな」
「マックとコンビニって、なんか違うの?w」
「別にたいして変わらんけど、弁当よりビッグマックの方がいいw」
「w」
「だいたいおれの世界でいちばん好きなメシは、島のプレートランチだ」
「お弁当じゃんw」

実際、これは自分の性格というか性質だろうけれど、オヒトリサマが好きなわりにメシだけはオヒトリサマが苦手で仕方ない。平日のランチタイムの食い物屋や休日でもフードコートなんかなら全く平気だけれど、どちらかというとハレ系の店がキツい。なので、鰻屋みたいな夕食の店へひとりで来られる人は、シンプルに「その度胸の半分でも分けてもらいたい」と嫌味でもなんでもなく心から思う。

それでも、どうしても「鰻が食いたい」という気分になって抑えられなかったら、だとしてもやっぱりひとりは嫌なので、誰かを誘うと思う。その際「あんま食べたくない」みたいにグズられたら仕方ないので「奢ってやるわ」くらい言うかもしれない。ひとりで入りやすくて美味い店があればそこへ行くけれど、鰻でそういう店を知らない。というか食いもんに対してほぼ興味のない自分は外食に関する店の知識ってほとんど持ち合わせていない。もちろん人並みに美味いもんは食いたいし、不味いもんは食いたくない。ただ、べつにどうしても美味いものが食いたい、という切実な欲求がほぼない。たとえば蕎麦はかなり好きなので、旅行先なんかで評判の良い店があれば行きたくなるし行くけれど(ひとりでなければ)、だからといって絶対にそういう店で食べたいという欲求はなく、イオンのフードコートのざる蕎麦でもぜんぜんイケる。

要はバカ舌なのだと思う。

 

太っ腹

電池が切れたままずっと放ってあるスウォッチがうちにあって、人とその話をしたら、「スウォッチって直営店へ持っていけばタダで電池交換してくれるぞ」と言われた。

「マジか?」
「マジ」
「太っ腹すぎん?」
「おれも聞いた時は信じられんかったけれど、持っていったら本当にその場ですぐダダでやってくれたし、ホームページにも載ってる」
「その店で買ってなくてもええの?」
「そんなん訊かれもしない」
「じゃあ、行ってみるわ」

というわけで、帰ってから実際にホームページを見てみると確かに「無償で何度でも交換します」と謳われていた。

www.swatch.com

それでもまだ(ほんとかいな?)と訝しみつつ、後日、電池が切れたままずっと放ってあるスウォッチを持って直営店へ行った。で、恐る恐るという感じで、店員さんに声をかけた。

「すみません」
「はい」
「あのう、知り合いからスウォッチの時計の電池交換をタダでやってくれると聞いて来たんですけど、本当ですか?」
「はい。いまお持ちですか?」
「これなんですけど」鞄からスウォッチを取り出した。「めっちゃ古いし、ずっと放ってあるんで、壊れているかもしれないですけど」
というのも先日、時計の電池が切れるといつも行く、おじさんがひとりでやってる小さな眼鏡屋兼時計屋みたいな店へ、止まっている古いタイメックスを電池交換に持っていったら「新品の電池入れても動かないから、これ壊れてるわ」と返されたので(とはいえ作業はしたわけだからいくらか払おうとしたのだけれど、おじさんは「直ってないし、まあええわ」とガンとしてカネは受け取ってくれなかった)、もしかしたらこのスウォッチもそうとう古いので壊れている可能性があった。
「お預かりします」
で、店員さんは慣れた手つきで裏蓋を外し、ちゃっちゃと電池を交換すると、時間と日付と曜日を合わして戻してくれた。
「ちゃんと動きましたw どうぞ」
「どうもw ありがとう」
「また切れたらいつでも持ってきてください、ありがとうございました」

と、こんな感じで、本当にあっという間にタダで電池を替えてくれた。つまり「スウォッチは電池をタダで替えてくれる」はマジだった。まあ小さな電池なので単価はしれているだろうし、蓋開けて入れて閉じるだけなので簡単といえば簡単で、自分でもやれそうといえばやれそうだけれども、交換する電池だってタダではなく「塵も積もれば山となる」だろうし、たとえ数百円でも取ろうと思えば取れるのに「無料」なんて、その心意気が気持ち良いし、「永久無料のアフターサービス」のインパクトは強い。

で、店を出て超久しぶりに手首にスウォッチをつけながら「スウォッチって太っ腹だな」と思った。ロレックスとかのOHは論外としてもふつうの腕時計の電池交換でも今は1500円くらいかかるのに、「タダ」はありがたい。

それにしてもスウォッチって、空港の免税店でしか買ったことがないし、何個か買った記憶があるけれど、当時はかなり安かったので、着けている時に、甥っ子がこっちの時計を見て興味を持った雰囲気だったりすると、けっこう気軽に「やるわ」と外してあげてしまっていたので、手元には一個しかない。しかももう何年どころか十年以上は買っていない。でも、再び動き出したのを見たら、なんか改めて好きになった。とうぶん腕時計を買う予定は全くないけれど(手が痛いのできほん腕時計は着けない)、もしも買うなら今度はスウォッチにする。店で展示されていたオメガとのコラボのやつとかカッコよかった。ただ円高の時の空港での昔の価格を知っていると、今のスウォッチの定価はまあまあ高い。

ちなみに。

前述の時計屋のおじさん曰く、タイメックスの電池交換はあまりやりたくないらしい。「確かフィリピン製だろ? 中が面倒くさいし、どのモデルもなぜか蓋がやったら固いんだわ」とけっこう露骨に嫌がる。で、G-SHOCKも、ふつうのやつは防水を無視するならやってくれるけれど、フロッグマンは「これはカシオでしかやれんやつ」と即答だし、「ふつうのやつでも古めだと外してるだけでボロボロと加水分解で壊れてくることがあるから、電池交換が出来るかどうかは現物の状態を見てみなわからん」と言われる。しかし、壊れてたからと言って作業代すらガンとして受け取らないこのおじさんも、スウォッチに負けず劣らず太っ腹。

勘違いされがち

時々、人から「他人に優しい」とか言われることがあるのだけれど、そういう趣旨のことを言われる度に、「べつに優しくねーけどなー」と率直に思いつつ、変な居心地の悪さを覚えてしまう。

正直なところ、それはぜんぜん違う。自分は基本的に超利己的だし、優しくなりたいとか優しくありたいという気持ちだけはいちおうあるけれども、なかなか難しい。というのも、自分の行動のほとんどは、結局は自分の得になるというか、少なくともなるべく自分が損はしないように動いているから、側からはそういう風に見えないかもしれないけれど、自分の中には明確に「損して得取れ」とか「情けは人の為ならず」みたいな判断基準があって、基本的にはそれに従って動いている。なので、結果的に他人に優しく見えることがあったとしても、そこには、現時点では「損」かもしれないけれど、この先トータルで考えたら「得」になるかもしれない的な打算があって、見返りを求めるつもりは皆無だけれども、べつに純真無垢に他人に優しいわけではない。或いは、初めから「得」はしないとわかっているけれど「損」しないらいいか、みたいな判断の時もある。また、必ずしも物事は自分の思い描いた通りにはならないので、「損して得取れ」のつもりが「損」しただけで終わることも、ままある。でもこれは仕方ない。

仮に「優しそう」に見えているのなら、それはたぶん、人とはなるべく分け隔てなくフラットに接しようとしているからかもしれない、とは思う。ただしこれには明確な理由というか動機があって、不純といえば不純。というのも、高倉健さんや石原裕次郎さんは超大スターなのに相手の立ち位置に関係なく誰に対してもいつも礼儀正しく挨拶をしたとか、その手の逸話がいくらでもあって、そういう格好良さに憧れているから、何でもまずは形から入る自分としては真似しているだけ(渡さんが裕次郎さんと初めて会った時のエピソードなんか格好良過ぎて痺れる)。そして苦手な人、はっきりいえば嫌な奴でも、適当に上っ面だけはなんでもたいていのことに対して一応「はいはい」と逆らわずに受け止めているから、当たりが柔らかく感じられるのかもしれない。でもそれは、逆にいうと相手によっては全く真摯には対応しておらず、ぶっちゃけ内心では舐め腐っていても表には出さず、面倒な摩擦を避けているだけに過ぎない。あまり態度には出さないように気をつけているけれど、偉そうにしていて、上から来る奴は大嫌いだし。だから、受け止めはしても、実は全く受け入れていないパターンはいくらでもある。それでも、変なちょっかいを出されない限り、きほんスルー。強引に売りつけられる喧嘩は仕方なく買う可能性があるけれど、ただ売られるだけなら「要りません」という感じで、まず買わない。面倒くさい。

また、たとえば友人知人や親類縁者が病気になったりした時、治ってほしいと願ったり、神社仏閣にお参りして神さまや仏さまに安穏や平癒の祈願をしたりするのは、もちろんその相手に快復してもらいたいという願望がファースト・プライオリティにあることは間違いないけれども、同時に、相手がまた元気になれば付き合う自分としても変な気を遣わなくて済むし、またいろいろ楽しくやれるいう期待や思惑があって、自分のためでもあることが否定できない。要するに、誰かのことを祈ることは、めぐりめぐって自分のためでもあって、自分の利益になっている。なので、祈ることは決して人に優しいわけではなく、これも或る意味では「情けは人の為ならず」の亜流の気がしてならない。

こういう感じなので、しばしば「優しい」と勘違いされるのだけれど、たまに「オマエって実はめちゃくちゃ冷酷だよな」と見抜く人がいて、わかる人はわかるんだな、と思う。たとえば、仮に誰か何かで苦しんでいる人がいたとして、どうにか助けたいと思っても、自分にその力がなかったら助けたくても助けられないわけで、だったら冷酷にならざるをえず、自分の性格的に「がんばって」みたいな言葉をかけて励ますことがどうしてもできない。そういう時は「仕方ないね」くらいしか言えない。

インチキオオタニ

ちょっと前に、昼に人と中華屋へランチに行った。で「本日のランチ」みたいなやつがチャーハンと焼売とかとのセットだったので、それにした。

やがて料理がきて、とりあえず「いただきます」をしてから、まずふつうに右手で箸を持ち、左手でお椀を持ってスープを飲み、いったん箸とお椀はリリースし、スプーンに持ち替えてチャーハンを食った。で、右手でスプーンは持ったまま、チャーハンの皿はいちいち持たないので、空いている左手で箸を持ち、チャーハンと同時進行で焼売や炒め物も食っていたら、向かいの席から言われた。

「おまえ、なんちゅう食い方やw」
「何が?」
「なんでスプーンと箸を同時に持って使うんや」
「いちいち持ち替えるの、面倒くさいだろ」
「そういう問題か?」
「いや、よくわからんけどw」
「っていうか、なんでそんな風に器用に両刀というか、左で箸が使えるんだ? 左利きじゃないだろ」
「見りゃわかるだろ、こんなヘタクソな左利きがおるかw バリバリの右利きだわ」
「そのわりに、まあまあ左で食えてるな」
「訓練の賜物なんだわ」
「そんな訓練したんか?」
「べつにしたくなかったけど、背に腹はかえられぬ、というやつだな」

もう10年以上は前になると思うけれど右手の指を骨折して、しかもちょっと変な折れ方をしたので、1か月くらいずっとギプスを付けていた。その間、ほとんど右手がまともに使えなかったので、仕方なくごはんの時は左手でスプーンやフォーク、そしてそのうちに箸も使うようになった。しかし順応というのはなかなかのもので、最初はぜんぜんダメだったけれど、そのうちに「習うより慣れろ」ではないけれど、そうとうぎごちないもののラーメンくらいなら箸でなんとか食べられるようにまでなった。で、その名残りで今もなんとか使える。ただ、箸はなんとかなったけれど、結局ペンは試してはみたものの全くダメで、字は書けなかったし、とうぜん今も左手で字は書けない。キーボードはポツポツと一本指で乗り切った。

このようなことを説明すると、「へえ、出来るようになるもんなんだな」と変に感心されてしまった。とはいえ、食事のマナーとしては論外というか最低で、お行儀が悪いという自覚はちゃんとある。だからちゃんとした店ではやらない。その点、昼時の中華屋なんかマナー警察の管轄外だろうからやるだけ。

ただ、左手での箸はぜんぜん上手ではないどころか、かなりヘタクソ。とりあえず使える、というレベル。無理矢理たとえるなら、アメリカ映画で外人がデリバリーの中華の箱に入った焼きそばや野菜炒めみたいなものを、たどたどしい箸使いで摘み上げる、あのレベル。それでも一応はたいていのものを摘めるので(流石に豆とかは難しいけれど)、ついやってしまう。

「しかし、なんかインチキ臭い低レベルのオオタニだなw」
そう茶化されたので、言った。
「このレベルで二刀流は名乗れんわw」

数字

ある女子と雑談していて、唐突に訊かれた。

「ねえ、誕生日っていつ?」
「おれ、歳取らんから、誕生日ってないんだわ」
「ははは。アホなこと言ってないで、教えてよ」
「プレゼントでもくれるんか?」
「まあ、あげてもいいけどw」
「投げやりだなw もうめでたくもないから要らんわw」
「ていうか誕プレはともかく。数秘術って、知ってる?」
「いや、知らん」
「誕生日の数字をバラバラにして足していくやつ」
「ああ、なんか見たか聞いたかしたことある……気がする」
「計算してみたことある?」
「ない」
「してあげるから、ちょっと教えて、西暦で1900から全部ね」
「わかったわ」

なんかやたらしつこいので、減るもんでもないし、教えた。するとその子は携帯の電卓アプリを使ってちゃっちゃと数字を足していき、計算終了後、苦笑いを浮かべながら微妙な反応を示した。

「やっぱりなー、数秘術って当たるわw」
「なんか嘘くせえ」
「そんなことないって。〇〇くん(自主規制)って11でさ、マスターナンバーってやつなんだよ」
「それ、響きは良さそうだなw」
「っていうか、めっちゃ良いよ。ただ」
「ただ?」
「11って宇宙人なんだよねw」
「変人ってことか?w」
「ざっくりいうとねw でも、けっして悪くはなく、いい意味で、なんだけど」
「微妙っぽいw」
「まあ後でさ、『数秘術 11』とか自分でググってみて。たぶんめっちゃ当たってると思うよ。あたしはいろいろストンと腑に落ちたというか、納得したw」
「よくわからんけど、帰ったらゆっくり見てみるわ」
とりあえずこたえ、訊いてみた。
「ところで、おまえの数字は幾つなん?」
「それはまあ、内緒にしとくわw」
「なんだそれ、ナメてるだろw」

で、そんな話をした後、帰ってからググってみた。すると、すごくたくさんの解説系のサイトがヒットして、まだまだ自分の知らない世界があるもんだな、と感心しながら、いろいろざっと見ていったら、確かになんか当たってる気がした。どのサイトも基本は同じようなことが書かれていて(まあベースのデータが同じだろうから当たり前だけれど)、もちろん全部が全部ってことはないけれど、書かれていることがいちいち妙にしっくりきた。

とはいえ、スピリチュアリティはけっこう好きなくせに、占いって九星くらいしか気にしないタイプだし、とにかく天邪鬼なので、どうせ他の数字も曖昧に良いことばっか書いてあるんだろう、と思いながら適当に違う数字も見てみた。そうしたら、やはりどの数字もそう悪いことは書かれていないようだった。けれども、それでも微妙に数字によって違いはあり、なんとなく他の数字よりは内容的に11がしっくりきたから、ちょっと不思議な気はした。

また、YouTubeにも山のように動画があって、ついいろいろ観てしまった。しかし何本も観ていたら、そのうちにまるで洗脳にかかったみたいに(なんか11のおれ、実はすごくねw?)的な勘違いをしそうになってきたので、ヤバいと思い、適当なところで観るのはやめた。

それでも単純なので、何気に常々「いいから自由にさせろ、おれを型や枠に嵌めようとすんな」と妙にイラつくことは多いし、「やっぱ根本的にカタギは向いてないんだな、生きにくいはずだわ」と変に納得し、「食い詰めたら宗教家にでもなって口八丁手八丁を駆使して石か何かボッタで売ったろかな」とは思った。そして自分に対して誰か「こいつ、どんな奴や?」と疑問を抱いたとしたら、まあ「11の人の特徴」みたいなものを見るとだいたい当てはまっているので、たいていはたぶん(こいつとは距離置いとこw)と引くだろうな、とも思った。

完結しておけばいいのに

最近またお水の女の子に貢いで捨てられて逆恨みして殺しちゃった人がいてニュースになっていたけれど、この手の事件の登場人物たちとその構図に於いては「どっちもどっちじゃね?」的なことが絶対言われる。まあそれはそうかもしれないけれど、こういう話を聞くと、やっちゃった側の男に対しては、何も殺さなくてもブッ飛ばすくらいにしておけばいいのに、といつも思う。いくら憎くても、もう散々カネを巻き上げられてダメージを負っているのに更に殺人罪を食らってムショにぶち込まれるなんて、あまりに割に合わなくないか? と。尤ももうマトモな判断ができないから、そういうことをしてしまうのだろうし、現実の人となりはもちろん知らないけれど、こういう人はおそらく、ベクトルが間違っていそうだけれども根がマジメというか変にピュアなのだろうと思う。ふつう自分が大切にしているモノを売ってまでしてカネを作り女に渡すなんて、まずしない。そして被害者である女の子の方に対しては、殺されちゃったことは気の毒だと思うけれど、キラキラしたプライベートを見せびらかさず、狙うにしても相手の性格や属性はちゃんと見極め、あんまり欲はかかず生かさず殺さず上手くやればよかったのに、と思う。ただ、男と女のことは当事者同士でしかわからないことが多いから、他人があまり具体的にどうこうは述べないほうがいい。野次馬は裁判官ではないのだから。

ちょっと前には吉原の泡姫も殺された。この犯人の客も、おそらく身の丈に合わない額を嬢に注ぎ込んでいそう。で、こういう事件の共通点は、殺害方法がたいていメッタ刺し。もう犯行動機としては「可愛さ余って憎さ百倍」がメルトダウン状態に陥った『怨嗟』しかない感じ。だから後先も損得も無視というかそういう考えすら浮かばないくらい極度の視野狭窄に陥ったまま頭が沸騰しまくった状態でぶち殺してそう。個人的に、客としてのお水やお湯の女の子との関係は、代金を支払った範囲内で完結しておけばいいのに、と思う。ちょっと冷静になって考えれば、そもそもがカネでなんとかなる女なら、そんな女は世界にひとりではなく他にいくらでもいるだろうから、ダメっぽくなった時点で「今回は失敗」と潔く諦めいったんリセットして気分を切り替え、さっさとRPG感覚でまた別の女の子に行けばいい。カネの切れ目が縁の切れ目で切れた女の子をカネなしでもう一度振り向かせるのは不可能。だから最初から互いにプライバシーには立ち入らないほうが楽。たいしてカネもないのにお水の綺麗どころに対してお大尽やパトロンを気取るのはやめておいたほうがいい。そのうちに破綻することが目に見えている。そもそも「嫉妬」という感情が犯人側にあったなら、それがおかしい。嫉妬なんてものは、あくまでも相思相愛というか対等の関係ではじめて芽生える感情。一方的の場合には残念ながら「嫉妬」という概念は存在せず、そんなものは単なる「逆恨み」に過ぎない。

自分はそんな感覚なので、色恋営業に引っ掛かって貢ぐオッサンの心理は理解できない。尤も自分の場合は残念ながら先立つものがないので、貢ごうと思っても貢げないし、むしろ逆に貢いでもらいたいというか、食わせてもらいたいタイプなので、そういう女の子の的になることはないし、大前提としていくら美人でも色恋かけてくるタイプには一ミリも惹かれない。というかそもそも、普段の暮らしの中でぜんぜんモテない男が、煌びやかな夜のお店に行っただけでいきなり若くて綺麗な子から言い寄られるなんて、おかしいと思わないのか? と不思議に思う。まあだからこそ楽しくてハマってしまうのかもしれないけれど。尤もこのへんは、国外でハニトラに引っ掛かる政治家や役人も同じ。ふだん同胞にすらモテないお前らがモデルか女優みたいな綺麗どころの外国人にモテるわけがないだろうw という簡単な話。

基本的に、フー系でオトコを手玉に取れる女の子は見た目が良いのは最低条件として、たぶん気質にエシカル・ノン・モノガミー的なものがあって、その中でもオープン・リレーションシップ感がベースにあり、プライベートと店は完全に別、みたいな感じで淡白に割り切っていて、そのうえで上手く客を回せる子たちだと思っているので、一般的なモノガミーの男が、タチウチするのは無理だと思う。男の側も極端な話、ポリアモリーとかオープン・リレーションシップ傾向のある人間でなければ、その恋路の先には悲劇しか無い。既に何人も愛人がいるとかカミさんや本命の彼女とは絶対別れないけど遊ぶとか、そういう気質でなかったら、お水やお湯の女の子には手を出さないほうが無難だと思う。店内だろうが店外だろうが、男も女も、客もキャストも、双方が「遊び」と割り切っていないと、まあ拗れる。そして何より女の子の方も、相手の懐具合を考慮して適度に毟るべき。無理してカネを作ってくるようなオトコ、しかもストーカー気質のあるようなオトコをターゲットにし、カネは極限まで搾り取りながらろくにヤラせなかったら、ヤバいに決まっている。逆に言うなら、カネをホイホイ貢いでくるようなオトコは、適度にちゃんとヤラせて、引っ張るにしても首を括らない程度にしておけば、そのまま上機嫌で貢ぎ続けるはず。昔から日本にはこういう言葉がある、『窮鼠猫を噛む』。追い詰められた人間は何をするかわからない。だから追い詰めないことが、うまくやるコツ。

もちろん、全部の夜職の女の子が海千山千だと言っているわけではない。中にはお客さんとして出会った男と損得勘定抜きで本気の付き合いになる場合も、もしかしたらあるかもしれない。だけれども、少なくとも金銭を支払う必要のある場所から始まる恋愛に、カネを払った男の側からどっぷりハマって入れ込んでいくのはマズい。というか、そもそも「好意を寄せてる」的ムードを見せてくる女の子と会うのにいちいちカネがかかる時点で「ん?」と気づくべきだし、色恋営業を「遊び」として楽しめる人以外は、近づかないほうがいいと思う。尤もそういう余裕のあるオトコは、逆に露骨すぎる女は適当に遇らって、相手にしないかもしれないけれど。

ま、根本的な問題として、自分は下戸で、女の子のいるお酒の店にはきほん行かないので(もし行くとしたら「付き合い」限定で、更に金主がいる時だけ)、突き放して考えられるだけかもしれないけれども。男って単純でバカだから、酒が入ると妙に気が大きくなってしまう。自分は酒がほとんど飲めないので、自腹でキャバとかはありえない。何が楽しいのかわからないし、どうせカネを出すならお水より、後腐れのないお湯の方がよっぽどいい。そっちの方が確実に払った分のリターンがある。ただし、仮にお湯系へ行ったとしても、もちろん完全に「遊び」と割り切る。外でも会おうなんて一切思わない。だいたい、こんなことをフェミ全盛の時代に公言するとフルボッコされるかもしれないけれど、高いカネを払って触れもしないなんて何が良いのか、個人的感覚では理解不能。まあ酒呑みからしたら、若くて綺麗な女の子と一緒に飲めることが楽しいのかもしれないから、それならそれでぜんぜん否定しない。本人がそれで楽しめるなら他人が文句つけることではない。結局のところ、何でもホドホドのところでやめておけばいいだけ。

ところで、話はぜんぜん変わるけれど、世間的にはもう終わった感がある各種コロナ対応だけれど(手指消毒を撤去してる店とかも増えてきているし)、大学病院は違って驚いた。このまえ行った時、広い待合室にいたら、別の診療科だったけれど、どうも患者がコロナ陽性だったらしく、直ちに隔離され、先生も全盛期と変わらない防護服を着ていた。まあコロナに限らず、どんな問題もメディアが報じなくなれば「なかったこと」になっていくのかもしれないけれど、久々に感染症対策最前線を見た気がした。

しかし大学病院にかかっていると、あんがい利点はある。何せあらゆる診療科があるから、定期の通院の際に、主治医に別の診療科の症状を相談すると、たとえばぜんぜん関係ない眼科とかでも「最近ちょっと眼が変な感じで」みたいに言うと「どうしたの?」と訊かれ、症状を説明すると、「それは一応いっぺん診てもらったほうがいいかもね、診てもらう?」みたいに訊いてくれて、「はい」と答えると、とりあえず診察が終わってからコンピュータでちゃっちゃと眼科の空いている日と時間を調べて紹介で予約を取ってくれるから、ありがたい。診察券一枚で、あらゆる診療科にかかることができる。院内で回されるだけだからバカ高い初診料もかからないし、カルテは共有されているから別の診療科へ行ってもいちいち細かい説明をしなくて済むし。尤も予約は取り合いみたいなもので常に混んでいるから「この日にして」とか指定は難しく、空いている日時を先生が調べて「この日でいい?」と訊かれる感じでしか決められないけれど。つまり今日言って明日とかは絶対無理。MRみたいな各種検査もそうだけれど、超緊急案件でもない限り最短でも三週間から一ヶ月くらいは先になる。それでも最近、行きつけの歯医者が廃業してしまって、いま虫歯はないからいいけれど、「もしもの時は歯医者も紹介してくれますか?」と訊いたら、あっさりと「いちいちここまで来るのが面倒でなければ、いいよ」と言ってもらえた。しかし「肩こりで整形外科にかかってトリガーポイント注射とか打ってもらえますか?」と訊いたら、「こういうところの整形でそういうのはやってないから、打ちたかったら町医者だけど、あんなの効くの?」と逆に訊かれ、「いや、知り合いは効いたって言ってましたけど」と答えたら、先生は「へえ」と言っていた。

唯一の基準

「こいつは信用できん」と判断する唯一の基準が、自分にはある。他にも信用できない基準はいろいろあるかもしれないけれど、とりあえずひとつは明確にある。

それは、必要以上に、ある面では嫌らしいというか厭味というか、逆に不遜な感じすら受ける「ホニャララさせていただく(いただきました)」という言い回しを使う奴。

もちろん正しく適切に使う場合は問題ない。たとえば、目上の大先輩から可愛がられて仲良くしてもらっている時に、人から関係性を訊かれて「親しくさせていただいています」みたいに使うなら、その言い回しで「信用できん奴」とはまったく思わない。こういうのは当たり前の使用法。

そうではなく、ふつうに「しました」で済むところで「させていただきました」と言う奴を、自分は人としてイマイチ信用できない。もちろんこれはあくまでも個人的な感覚なので、気にならない人を否定する気はないし、使いたい人は好きに使えばいいし、使用者本人にわざわざ「おまえは信用できない」と告げるようなことはしない。心の中で密かにそう思うだけ。いずれにせよ自分は、口や態度には出さないけれども、たとえば「寄付させていただきました」とか「立候補させていただくことになりました」とか「申し出をお受けさせていただくことになりました」とか、こういう風に妙に謙って言う奴は、きほん信用しないことにしている。必要以上に謙遜して言うのは、寧ろ逆に不遜に聞こえるし、実際こういう連中の多くはそう言いながら本心ではぜんぜん自分のことを謙遜なんかしていないと思う。まあ、自分が捻くれているだけかもしれないけれど。

それでも、そもそも前述の例なら「させていただく」なんて使わなくても、「寄付しました」「立候補することにしました」「申し出を受けることにしました」で充分。遜る必要なんか全くない。

あと、個人的にいちばんウケる言い回しが「ボランティアに参加させていただきました」的な言い回し。これはもう「ボランティア」なんて「寄付」とほぼ同じカテゴリの「布施」なので、変すぎる。つまり「布施行」はもともと他人のためではなく自分のためにするものなのだから、「させていただく」のが当たり前であって、「させていただいた」なんて公言したら価値大暴落。どうしても公表したいなら「ボランティアに行ってきました」に留めておいたほうがいい。

こういうことを言うと、逆に「面倒くせえ奴」と思われるかもしれないけれど、「させていただく(いただいた)」マンはどうしても信用できないのだからまあ仕方ない。ただ、中にはとくに拘りなどなく単なる丁寧語みたいなもののつもりで「させていただく」を使ってそうな人もいるみたいなので(正しくないけれど)、一概に使っている人全員を「信用できん」と切り捨てることはできず、そういう一部の人らに関しては他のファクターも参照しながら包括的に見て判断しなければならない。なので、正確にいうなら、「させていただく」マンは「ほぼ」信用しないことにしている、という感じ。

もちろん、そんな自分だから、正しい使い方の時と、わざと冗談として小馬鹿にする風味で使う時以外は、絶対に「させていただく(いただきました)」は、気持ち悪いので、使わない。

というか敬語(尊敬語・謙譲語・丁寧語)は使い分けがけっこう難しくて、用法を間違えると馬鹿だと思われるので、よほどの相手(絶対に尊敬語を使うべき相手)以外は、最初から「です」「ます」の丁寧語を使っておいた方が無難だと思う。たとえば、有名な例だけれど、相手の名前を確認する際などに「〇〇様でこざいますね」と「〇○様でいらっしゃいますね」みたいに、実は使うべき相手の属性が決まっていて、違いが明確にあるので気をつけなければならない言い回しがある。これを間違って使うと、細かい人には馬鹿認定されてしまうので、この場合でも間違った使い方をするくらいならはじめから「〇〇様ですね」と丁寧に言っておいた方がいい気がする。実際自分はまず「謙譲語」って使わない。敬語を使う時は「尊敬語」か「丁寧語」。なぜなら、「謙譲語」は嫌いということもあるけれど、基本的に細かい使い分けに自信がない。

だいたい極端な話、もしも天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下とお会いする機会があったら、もう「尊敬語」しかあり得ないわけで、「謙譲語」なんか使う奴がいたら「おまえ何様や?」と思ってしまう。天皇陛下を相手に自分が謙る必要なんてないどころか、下にいることが当たり前。しかし、ちゃんとした「丁寧語」なら、たとえ相手が天皇陛下でもそれほどの失礼にはならない気がする。これが天皇陛下ではなく総理大臣だったら、大人としての最低限のマナーとして最低限の「丁寧語」では接するけれど「尊敬語」なんて絶対に使わない。遜る必要も全くないので「謙譲語」もナイ。今の総理大臣に「尊敬語」を使う奴なんて、何かしら直接的にあいつの影響下にいて、身近で下にいる奴だけだと思う。

要するに、個人的に、謙譲語はもう日本語として廃止してほしい、と思う。