そろそろ

本気で、ヤバくなってきたな、と思うのがマスク。もともと季節が歩みを止めない限りは遅かれ早かれこうなることはわかりきっていたことだけれど、5月になっていきなり暑くなり、外で着けていることがかなり「苦」になってきた。ぶっちゃけ、顔が暑すぎる。実際、そう感じる人が多いのか、外でのマスク着用率がガタ落ちしてる気がする。外を歩いていると、明らかに一時期よりマスク姿の人が減っている。これだけ散々ニュース等で「マスクをしろ」とアナウンスされているにも関わらず相変わらずノーマスクでジョギングしている奴らも未だに普通にいる。

ただ、外したくなる気持ちは痛いほどわかる。汗を掻きながら頑なにマスクを着けている姿なんて、我ながらアホ丸出しだと思う。しかもこの先、どんどん暑くなっていく。超高温超多湿の夏のニッポンでマスクなんぞ着けてはいられない。新コロに罹る前に熱中症でぶっ倒れる。しかし、暑いからと言って、そして暑くてもマスクをしていなければならないからと言って、マスクの素材を「通気性の良いモノ」にするわけにもいかないから辛いところ。

だからといって、外してしまうことにはまだ抵抗がある。本心を言えばもう嫌だけれど、外してしまっていいのだろうか、という葛藤がある。だから今のところは我慢して着けているけれど、正直、これもいつまで続けられるか、全く自信がない。冗談ではなく、本当に熱中症の危険がある。ただ、うちはばあちゃんが入院していて、その病院の対応を見ると、未だ最高レベルの警戒態勢だから、まだ全然気は抜けなさそうで、もうちょっと我慢するしかないな、と諦めがつく。ばあちゃんには全く会えないし、ちょっと前までは着替えとか洗濯物とか持ち込んでいたけれどそれも禁止になり、ギリギリおやつは良いので持っていくのだけれど、とにかく外から持ち込まれるモノに対してそうとう神経質になっていて、徹底的に病棟を封鎖している。こういう事態を身をもって感じると、まだまだダメなんだろうな、と思う。以前は看護婦さんに携帯を渡すと写真やビデオを撮ってきてくれたけれど、この持ち込みも禁止になった。まあ、医者が使うタブレットから院内感染が発生した事例があるくらいなので、この措置は仕方ない。

それにしても、この暑さとマスクのことを思うと、ハワイとかグアムとかサイパンとか東南アジアとか暑い国の人たちはよくマスクなんかしていられるな、と感心する。尤もあのへんは着用が義務化されているようなので、「しなければならない」のだろうけれど、暑さ対策が大変だろうな、と思う。

とはいえ、街中ではマスク率がダダ下がりのこの状況下でも、逆にほぼ100パーに近い装着率まで上昇している場所もある。それは日曜日のスーパーマーケット。スーパーマーケットの場合は、寧ろ以前より明らかに着用率が高くなってきている気すらする。ちょっと前までは「まだマスクなしの奴がおるな」みたいにチラホラとノーマスクの人を見かけたけれど、この前行ったら99%くらいはマスクを着けていた。やっぱり、なんやなんや言ってもみんな三密だけは警戒しているっぽい。このところ日曜にしばしば母ちゃんを連れて買い物に行っているのだけれど、本当にスーパーマーケットは混んでいる。それでもスーパーは行かなければならないから仕方ない。

しかし、なんか予想されていた通り、サクッと緊急事態宣言が延長されたけれど、暑さに対するマスクの憂鬱だけではなく、カネの心配や自粛警察の取り締まりなど、心を疲弊させることばかりが世界を浸していく。確かに自粛は大事かもしれないけれど、誰かが何処かから押し付ける「自粛しろ」という威圧的なムードの同調圧力が蔓延しすぎると、押し付けられた方はいつか暴発してしまう。やはりいちいち面倒臭くても、そして青臭いかもしれないけれど、地道に「いまは自粛しておこうぜ」という共生を探るやり方をしないと、ヒステリックな世の中になってしまう。たとえばパチンコなんかやったこともない人、ライブハウスなんか行ったこともない人、キャバクラや風俗なんかで遊んだこともない人が「けしからん!自粛しろ!」と集団的に怒りまくり、その度が過ぎると、言われた方も売り言葉に買い言葉で反発し、遺恨と断絶が生まれてしまう。だから心情的には「自粛しとけや」と思っても「自粛しておこうよ」という言い方をしておかないと、この先、まだまだ混乱が続くにせよ、いつかなんとか収束するにせよ、いろいろマズいことになると思う。

というか。
ドサクサに紛れて「新しい生活様式」とか言い出して、なんやそれ? と。まーた変なワードを繰り出してきやがった。そこに挙げられている程度のことは現在、不自由さに耐えながらいろいろと自粛をしている人ならみんな自主的に既にやっていることで、全く新しくないし、そもそもお上から指図されることではない。だいたい、健康的な人間がこんな生活を一生続けるなんてできるわけがないし、する気もない。一部の連中はよほど国民を阿呆だと思っているようだけれど、人間は電流を流した鉄条網の中で飼育されている家畜とは違う。どっちを向いた何の専門家たちが考えたのか知らないけれど、実践例として提示されているような基本的に人と人との直接的な接触を否定するような生活がデフォルトになったら、それはもう人間らしい暮らしとはとうてい言えない。たとえば飲食店では横に並んでメシを食え、とか本気で人々が従うのか知らないけれど、こんなものは生活者としての単なる事実上の敗北宣言。で、二言目にはオンラインを持ち出してくるけれど、なんでもかんでもネット越しにやれるわけでもない。だいいち「新しい生活様式」の延長線上には未だにしがみついている五輪も万博も旅行や観光も存在しえないし、一流ホテルの宴会部門も死ぬから政治家のセンセイ方は資金集めのパーティなんかをやれなくなるけど、いいのかいな。

根本的に、人はどう生きようが自由。そして世界は胡散臭くて薄汚れていて猥雑。ただ今は非常事態だから多くの人が「個」を封印して自らの身と社会を守るために協力し合っているだけ。この部分を為政者どもが勘違いすると世の中は滅茶苦茶になる。「要請」が補償のない「命令」になったら従わない人が続出し、まるで底が抜けたように手がつけられなくなること必至。既に今の時点でも好き勝手にやっている人は一定数いて、しかし今はまだそういう人たちを否定する風潮があるけれど、多くの人が「ああもうバカバカしい、やってられん、うちらも好きにするわ」とケツをまくってしまったら、潮目なんてものはあっという間に、一夜にして変わる。

ところで、これだけ東京では感染者が増えているのに未だ政治家に感染者がいないのは不思議。いつも三密状態でああだこうだとやっていそうなのに、なぜか自分らが感染することに危機感を抱いている様子は感じられない。