テメエの懐を痛めろ

​​年明け早々、いい歳ぶっこいた連中のお年玉狂騒曲には、とにかく呆れた。撒く方もアレだが、貰う方の「夢を語る」とか。

​​まず大前提として個人的に『アカの他人から貰ったカネで「誰かの役に立つ自分」という自分の夢を叶える』という論理が、生理的に受け付けない。カネが必要なことで人の役に立ちたいなら、せめてテメエの懐を痛めろ、と。で、カネがなくてやれないなら、貯まるまで待つか、どうしても無理ならそれは身の丈に合っていないということなのだから、デカいことは言わず、母ちゃんの肩でも揉んでやれや、と思う。その方が少なくとも母ちゃんは確実に喜ぶ。他人のカネをアテにして、あぶく銭を右から左へ流すだけでいい顔ができるなら何の苦労もないし、それで良いことをしたと胸なんか張られても困ってしまう。そういう奴が近くにいたら速攻で距離を置く。

そもそも撒く方も、「お年玉」というなら、ランダムにパッと配って、配ったこと自体をさっさと忘れる方が格好良い。使い道を聞いてそれを判断材料にして取捨選択するなら、それは「お年玉」というより単なる譲渡だし、抽選と選定では意味合いが全く違ってくる。というか、根本的なこととして、気前良く人にカネをあげる時とかに、いったん自分の手元を離れたカネの行方を気にすること自体、無粋。

しかし、本当に気持ち悪いというか、悪趣味で怖い世の中になったものだ、と思う。しかもこの手のことにちょっと批判的なことを言うと、「誰も損してないからいい」とか「貯め込む金持ちより立派」とか、自分のことでもないのにトンチンカンな反論をしてくる輩がいて面倒くさい。世の中の判断基準、価値基準は損得だけではありません。

ま、とにかく、池の鯉に餌をやるみたいにカネを撒くのも、それに群がるのも自由なので勝手にすればいいのだけれど、どちらサイドともなるべく関わり合いにならずに生きていきたいものだ、と改めて思った。