アナ

ふだんここでこのテのことは書かないようにしてきているのだけれど、今回はちょっと例外。さすがに心に穴が空いた。

何のことかというと、猪木さんが亡くなったこと。もちろん個人的には何の接点もなく、ただの雲の上の人なのだけれど、ほんとうに子供の頃からずっとスーパースターだったので、そういう人がいなくなると、親類縁者とは違う意味で、なんか変な感じになる。

アントニオ猪木は、物心ついた時からもうスーパーヒーローで、小学生から中学生の頃はバリバリのプロレス少年だったので(というか周りの男子の大部分がそうだったけれど)子供の頃は実際に何度も生でプロレスを観に行ったし、赤いスポーツタオルを首に巻いて真似したし、ブラジル料理のレストランであるアントンリブにも連れて行ってもらって、スペアリブなるものを初めて食べた。馬場か猪木か、と問われれば何の躊躇もなく猪木派だった。もちろん近年病魔と戦っていることは知っていたけれど、勝手に「猪木は死なない」と思っていた。去年、衝撃的なくらい弱々しい姿を見せたときでも、「絶対ここから復活するはず」と思ったし、本当に持ち直した時は「さすが猪木だ」と思った。

なのに、亡くなってしまった。

こういう感覚は、渡哲也さんが亡くなった時も感じたし、今年、西村京太郎さんが亡くなった時も感じた。このふたりももちろんリアルな接点などない雲の上の人だけれど自分にとってはスーパースターで(渡さんはなんといっても西部警察の大門、西村さんは生まれて初めてちゃんと読んだ推理小説が「寝台特急殺人事件」だった)、子供の頃から仰ぎ見ていた人たちだから、訃報を聞いた時は、なんかガクッときた。もっとも渡さんはずっといろいろな病気と戦っていらしたし、最後の方は表舞台からもほとんど身を引いておられたので、いつかその「いつか」はくるだろう、と心のどこかで覚悟はしていた。しかし西村さんは病気なんてぜんぜん知らなかったので、勝手に「百歳まで生きるんじゃないか」と思っていた。

まあ、ちゃんと考えれば当たり前のことで絶対に避けがたいことではあるのだけれど、近頃はとくに子供の頃からずっとスターだった人らが、だんだん亡くなっていって、どうにも変な感じがしてならない。

マイケル・ジャクソンやプリンスが亡くなった時も、マイケルやプリンスがいない世界になったか、と思ったけれど、今回、アントニオ猪木のいない世界になってしまった、という感じは、衝撃度が別格で、いまいちまだ受け入れ難いというか、信じられない。

でも、この先、こういうことは増えていく一方であることだけは間違いないので、こればかりはどうしようもない。

ところで、関係ないけど、今日は花粉が酷かった感じ。何の花粉かしらんけれど、目は痒いは鼻は詰まるはクシャミは出るは散々だった。というかこのご時世、いくらマスクをしているとはいえクシャミは困る。肩身が狭い。