比率

超個人的感覚だけれども、世の中のババアのタイプの比率はこんな感じ。

 

1割、いいおばさん

1割、無害なおばさん

2割、別に関係ない普通のおばさん

3割、関わり合いたくないババア

2割、かなりウザいババア

1割、超鬱陶しいクソババア

 

要するに半分以上のババアがウザい。中でも1割の超鬱陶しいクソババアは「話しかけてくんな、ボケ」レベルのウザさ。

というか、なんでババアというのはやたら干渉してきたがるのかわからない。こっちはババアになんぞ全く用事はないし、何の興味もないのに、なまじか一度でも愛想の良い態度を見せると、すぐに図に乗ってズケズケと人の内情にまで入り込んでくる。でもって、なぜか自分の周りには稀少な最上級の1割である「超鬱陶しいクソババア」が世間的な比率を無視してウヨウヨしていて、マジで糞ウザい。

ぶっちゃけその手のババアに対しては普通に「どっか行けや、しっしっ」とか「近くに来んな、うぜーから」とか思うし、その延長線上の感覚として、とにかく遠ざかりたくなる。もちろん、何でも顔に出るタイプなので、そういうオーラはバリバリに発しているし、あからさまに現出しているはずなのだけれど、超鬱陶しいクソババアは鈍感だから気付きやがらない。だから余計にウザい。

たとえば路上で、こっちがイヤホンをして歩いているのに話しかけてくるババアがいる。そういう時は、目が合ってしまったら仕方ないので「こんにちは」くらいは言ってやる。でもだいたい一般的に考えて、それほど親しいわけでもない相手がイヤホンをしながら歩いていたなら、たいていは話しかけずそのままスルーするものなんじゃないか? と思う。もしも目が合ってしまったら、百歩譲って会釈するくらいで、間違ってもその会釈の後にイヤホンをしている相手に話しかけたりはしない。しかしババアは、ちょっと愛想よく「こんにちは」などと言おうものなら、こっちの感情など意にも介さず何か言ってくる。しかもたいていは話の内容がまたクソほどどうでもいいから、そこが超絶ウザい。だいたいイヤホンで音楽でも聴いていたら、話しかけられても何を言っているかわかるわけがない。なのに話しかけてくるなんて頭がおかしいとしか思えない。もしもその時点でこっちに話をする気があるなら、とりあえずイヤホンを外す。だから、外さない時点で「話す気はない」という意思表示なのだけれど、アホなクソババアはそれを理解しないから、こっちの意思など無視して話しかけてくる。とはいえ前述のようにイヤホンをしていたら何を言っているかわからないから、聞こえていないフリをして(実際に何か言ってるなとはわかっても内容は聞こえていないし)さっさとババアをその場に置き去りにして通り過ぎる。

そもそも自分の性格として、そんなにやたらめったら他人と話なんかしたくない。根本的に人間嫌いというか人間関係嫌いなので、他人とは必要最低限の関わり合いで済ませていきたいし、道で会った程度の知り合いなんて会釈で充分。それ以上は、社交辞令的な時候の話題すら面倒くさい。もちろん相手が普通のおばさんで親しい人なら話は別で、ある程度の会話というか接触はする。時節柄「寒いですね」とか「マスクしてると鬱陶しいけど、かといってこの世情ではとても外せないですよね」とか、その程度の会話はする。しかしクソ鬱陶しいババアとはその程度の話すらしたくない。話をするどころか、遭遇するだけでも(うぜっ)と思うババアなんて、会釈することすらスルーしたい。尤も実際に超面倒臭い時は、本当に気づかないフリして通り過ぎる。視線を路面に落とすかどこか周囲でも見ているフリをしてイヤホンで音楽を聴いていれば、外界はシャットアウトできる。

結局、何が言いたいのかというと、超鬱陶しいクソババアは「話しかけて来んな」ということ。

ただまあ『他人は自分を写す鏡』ともよく言われるので、クソババア共のウザい部分は、実は自分の中にあるものなのかもしれず、気をつける必要がありそうではある。