ジメジメムシムシ

七月になり、さすがに暑くなってきた。しかも梅雨時特有のジメジメムシムシ系の嫌な暑さ。日本の夏はとにかく高温多湿で気持ち悪い。カラッとした暑さなら、たぶん三十度を超えてもそんなに辛くなさそう。つまり敵は、湿度。熱中症も、気温より湿度がヤバげ。よく老人が自宅で熱中症になって亡くなるけれど、あれもただ暑いだけなら命まで取られることはないような気がする。

なにせ年寄りは、ほんとうにあまり暑さを感じないっぽい。うちらからしたら、どう考えてもクソ暑いのに「暑くねーの?」と訊いてもふつうに「べつに」とこたえる。それでもって、エアコンが心地よく効いているレベルの涼しさでも「ちょっと寒い」とか言う。

なので、家で熱中症になってる老人は、実際に暑くないのだと思う。もちろん普通の人からしたら充分に暑いのだけれど、おそらく年寄りはそう感じていない。だから熱帯夜に、エアコンがあるにもかかわらず、窓を開けて扇風機だけで過ごそうとする老人は、単に電気代をケチっているのではなく(それもあるかもしれないけれど)、体感としてエアコンをつけるほど暑くないのだろうと思う。人生の大先輩方に対して失礼な言い方になるかもしれないけれど、歳をとってくると、だんだん気温を感知する体内のセンサーみたいなものが壊れていきそう。

実際、自分も超暑がりだけれど、正直、あまり冷房は好きではないから、クーラーが苦手という人の気持ちはわかる。確かにクーラーが効いた部屋は涼しくて居心地がいいけれど、ずっといればなんか肩が凝ってくるし、そのまま寝れば夜中に寒くて起きる。しかしこれだけジメジメムシムシとクソ暑くなってくるとそんなことも言っていられない。フローリングやカーペットの上を裸足で歩くとネチャネチャして気持ち悪いし、シーツもなんかべちゃっとした感じになって、とてもではないけれど、せめて除湿しないとどうにもならない。つまり、百歩譲って気温は耐えられても、湿度が無理。逆にいうと、気温が低くても湿度が高いと気持ち悪くなる。まあ、誰でもそうだろうと思うけれど。ただ外気温があまり高くなっていないと、除湿もなかなか効かないし、効いてくると今度はクーラーと変わらないくらい空気が冷えて寒くなるから、けっこう厄介。

できればエアコンの世話にはならずに過ごせるものなら過ごしたい。欲を言うなら、やはり高原の天然のクーラーの中で暮らしたい。ただ、最近の日本はどこも真夏は暑いので、標高千メートルでは、まだふつうに暑い。せめて1500、下手すると二千メートルくらいまで上がらないと涼しくない気がする。所謂「避暑地」的なところでは、朝晩は多少涼しいかもしれないけれど、日中はやはり暑いと思う。何度か真夏に清里方面へ行っているけれど、昼間は暑いし、天気が悪いと夜でも蒸し暑い。いつだったか現地の人に「普通に昼間は暑いですね」みたいなことを言ったら、「最近はもう長野の山の方まで行かなければ涼しいなんて無理」と言われた。ただ標高も2500メートル超えという中央アルプス千畳敷レベルになると、涼しいを通り越して寒い。ここまで行くと、行き過ぎ。以前、真夏に駒ヶ岳へロープウェイで上がったら、真昼間だったけれど、完全に真夏の格好だったので、ロープウェイから降りた途端ふつうに寒すぎて震えた。なので、いくら真夏でも2500は流石に却下。まあ現実的に考えて、国内で最も涼しく過ごせる場所は、下手な避暑地などより道東だと思う。

そうは言っても暑いピークは七月八月の二ヶ月で、これから約二ヶ月を無事に過ごせば、なんとかこの国の殺人的酷暑もやり過ごせそう。ただ今年は世情的に超暑苦しくてウザい大イベントが待ち構えているので、いつもの夏よりいろいろと鬱陶しそう。

今年の梅雨明けがいつごろになるか知らないけれど、さっさと明けないと、夜になっても「気温30度、湿度90パーセント、天気は今にも雨が降りだしそうな曇り、無風」という生き地獄のような真夏の東京の夜に、華々しくアスリートの祭典が開かれることになりかねない。いくら夜で日差しはないといっても、日本の真夏の夜に外で何時間も開会式をやるなんて、正気の沙汰とは思えない。どうせ開会式のグラウンドレベルでは大量の選手たちが犇き合ってソーシャル・ディスタンスなんていっていられない状況になるだろうし、どう見てもあの新しい競技場の風の通りが素晴らしく良いとは思えないし、熱中症で人がバタバタ倒れていくのは不可避な気がする。高湿度の熱帯夜なんて、カラッと晴れた炎天下より、よほど過酷。

まあ「真夏の真昼間に炎天下で運動」なんてふつうは論外だけれど、それでも湿気さえなければ、ただ単に暮らしていくだけなら、まだ日本の夏は耐えられる。よく知らないけれど、気温だけなら日本よりアフリカとか南米とかアラブとかの方がキツそう。ただ、日本は湿度が半端ない。これだけでたいていの外国人はへばると思う。

それにしても無観客で、しかし関係者やタニマチ筋は観戦可なんて、もう完全に何のためにやるのかバレてしまった。というか自分らからバラしてしまっていて、笑える。どうせ開会式なんて、無観客と言いながら、蓋を開けてみたら関係者でほぼほぼスタンドはふつうに埋まっていそう。延期を決めてからこの一年、止めるチャンス、ちゃんと考える時間、それらはいくらでもあったのに「絶対開催」の結論ありきのもと「知りません知りません聞こえない聞こえない」で突っ走ってやり過ごし、いざ開催時期が迫った途端「今更もうやめるなんて無理」そして「決まったことだから」と完全に開き直って強行するのだから、勝手にやったらいい。五輪関連のニュースを見ていても、メディアで発言するスポーツ関係者でマトモな感覚を持っているのは、元JOC理事で漫画の「YAWARA!」のモデルになった人くらいで、あとは全滅。

しかし、無観客になったことで選手が心境を訊かれて「悲しい」とか、何言ってらっしゃるの? という感じ。「もうやめろ」という国民の大合唱の中、強行開催してもらえるのだからここは控えめに「がんばります」じゃねーの? と。もう本当に「感動」も「勇気」もべつに与えてもらわなくて結構、と多くの人が思っていそう。嘗てイチローが「感動や勇気を与えることは目的ではないし、目的にはできない、そんなもの与えられるわけがない、無理、そうなるなら結果的にそうなるだけ」みたいなことを言ったらしいけれど、さすが超一流のアスリートは違う。

また、チケットが無駄になって残念とか言っている、有観客なら行くつもりだった客にも呆れる。この状況で地方から行くの? と。ほとんどの人は、べつに政府に言われたからではなく、たぶん感染なんかしないだろうけど、それに年寄りじゃないから仮に罹っても重篤化はしないだろうけど、万が一感染したら周りに迷惑がかかるから今はとりあえずリスクの高い行動は避けておこう、くらいの気持で、自分にできる範囲の自粛的な生活をしているはず。誰も好きでやりたい事を我慢しながら暮らしている人なんていない。個人的にはちょっと面倒くさい事情があるので言われなくても高リスクな行動はできるだけ回避しているけれど、正直、みんな嫌々コロナ禍の生活に合わせているだけだと思う。なのに、わざわざ地方から今、東京へ行く人の感覚はちょっと信じられない。コロナの運び屋になる覚悟はあるのか? と感じる。ただ、基本的には他人のことなんか知ったことではないので、好きにすればいいけれど、もしも周りにこんな考えの奴がいたら縁は切る。

というか、選手も客もどちらもなんで馬鹿正直に答えちゃうのかな? と思ってしまう。もしも自分が選手なら「みなさんコロナで大変な思いをしておられる中で行われる大会なので、自分は自分にできることをやりたいと思います」とか、チケットが無駄になったけれど本当は行きたかった場合なら「まあ、もともとこんな情勢なので行く気はなかったのですが、ちゃんと返金してもらいたいですね」とか、いけしゃあしゃあと心にもないことをぶっこいてやり過ごすと思う。

個人的には五輪なんかべつに興味ないし、都民でもないし、どうでもいいけれど、ここまで為政者や関係者や競技者と国民の感情が乖離した、こんなに白けムードの五輪なんて、後にも先にも今回の東京大会だけのような気はする。といってもやるものはやるのだから、まあ、とりあえず大事にならないうちに勝手にやってとっとと終わらせてもらいたい。そして何より少なくとも厄介事を地方へ飛び火させるのだけは勘弁してもらいたい。東京のことは東京の中でなんとかしてもらいたい。ただ、外国から来る関係者や選手たちに対しては、未だこんな無様な感染状況の日本なんかに、しかも国民のほとんどがまだワクチンを打っていないような土人国家なんかに、よく自ら進んで来るなあ、とは思う。尤もバイデンなんかは、もしもアメリカ大統領に何かあったら大変だから、来ないことをさっさと表明しているけれど、まあ関係者でも選手でもない単なる招待客にすぎない世界のVIPは、ふつうは来ないと思う。所詮は単なる「飲酒規制宣言」に過ぎないとしても一応は「緊急事態宣言」などという名称だけは大袈裟なものが出されている期間にやるのだから、その字面を見たら来たくなくなっても誰も咎めない。

まあ関係者でもないのにオリンピックのことをああだこうだと考えても仕方ないので、そんなことより「いくら夏でも窓開けて寝たら寒いし、風邪引くわ」と言えるような場所で夏をやり過ごしたいものだ、と夢みたいなことを思いながらこれから二ヶ月をなんとか乗り越えたい。

どのみち一ヶ月後には散々振り回され続けたオリンピックも終わっている。待ち遠しい。