よく耐えられるもんだ

先日の或る夜、ちょっと買いたいものがあったので、いったん帰宅してから、改めて車でモールへひとりで出かけた。平日の夜なんてガラガラなので、ついでにフードコートで何か適当に晩飯も済ませるつもりで行った。

で、スッカスカの駐車場に車を止め、降りると、エレベーターでモールのフロアへ下りた。そして空いている通路を歩き始めて、ふと、違和感を覚えた。というのも、なんかすれ違う人たちがチラチラとやたらこっちを見てくる感じがしたから。内心(なんや?)と思ったのだけれど、すぐに(ああ)と理由がわかった。

その理由とは、ノーマスク。車の中ではマスクなんかしていないので、そのまま降りてきてしまっていた。つまり(なんでこいつはマスクしとらんのじゃ)という非難の視線がすれ違いざまにグサグサと突き刺さっていたのだった。

というわけで、非は明らかに自分にあるので別にムカつくこともなく(わりいわりい忘れとったわ)という感じですぐに駐車場へ戻り、助手席のシートに放ってあるマスクを取って着け、再びフロアへ下りた。当然のことながら、もう他人から露骨な視線が注がれることはなかった。で、ちゃっちゃと用事を済ませていった。

しかし、マスクをしていないと、ほんの一分にも満たない時間であれだけジロジロ見られるのに、外でノーマスクの人はよく耐えられるもんだ、と感心した。さすがにモールやスーパーといった人の多い店内でノーマスクの人は滅多にいないけれど、ゼロではないし、とくに最近では暗くなってからの路上なんかもうかなりマスクをしていない連中が目立つ。別に周りに誰もいなければ外していてもいいと思うけれど、これだけ世間が煩いのに、人目のある場所でノーマスクでいられる人はそうとう面の皮が厚いんだろうな、と感じる。自意識過剰かもしれないけれど、あんなにジロジロと見られるなんて、自分は耐えられない。個人的には(はいはいマスクすりゃいいんでしょ)と諦観しているし、着用自体をそんなに苦には感じていないので、ふつうにいつでもどこでもマスクをしているし、ジロジロ見られるくらいならヘタに抵抗するより着けていた方がラク派。

ただ、案外ノーマスクの人と遭遇して目が合うと、たいていは目を逸らすから、そんなんだったら着けとけばいいのに、と思う。あと、顎マスク。あんなもん何の意味もないから、潔く外しとけ、としか思わない。顎マスクでフラフラするくらいなら最初からしない方がマシ。

というか、べつにもう暑くないし、不細工隠しになるし、マスクぐらいすりゃいいじゃないか、と思う。ちょっと前に餃子屋で揉めた人がいたけれど、頑なに「しない」人って正直その理由がわからない。逆に(なんでたかがマスクにそんなに拘る必要があんの?「着けろ」というシチュでは着けとけばええやんけ)としか思わないし、寧ろ着けない方が面倒臭そう。ただ、今回の自分のように、つい忘れてしまうことはある。だから過剰な一億総マスク警察化はどうかと思うけれど、誰でも外へ行く時にはズボンやスカートを穿くように、暫くは単なる身嗜みのルーティーンにマスク着用も含むしかない気がする。ノーマスクはマッチョ、みたいなトランプっぽい考え方はもう流行らない。バイデンは「とにかく着けようぜ」と言っている。

ま、たかがマスクに世界中が振り回されているこの状況は、鬱陶しいといえば鬱陶しく、滑稽といえば滑稽で、アホくさいといえばアホくさいのだけれど、今は我慢するしかない、と個人的にはもう諦めている。