凝り固まるから、解す

思考も肉体も使わないでいるとどうしても凝り固まってしまう。だからそれに気づいたら時々は解す必要がある。ただ、なかなか気づきにくい。実は柔軟性を失っているのに、硬直した状態が続くと、いつしかそれが通常の状態だと錯覚してしまい、凝り固まったまま過ごすことに何の疑問も抱かなくなる。それでも不思議なもので、ふとした瞬間に「おめえ硬直してんじゃね?」と気づかされることもあり、その時点で修正できることがある。

先日、思いがけずそんな経験をした。というのも若干自画自賛になってしまうのだけれど、自分はパズルの数独がやたら得意で、たいていの数独の本では、その中のもっとも難易度の高い問題が、もちろんそれなりに時間はかかるけれども、結局は解ける。まあレベルでいえば中の上、或いは上の下、という感じだと思うけれども、なぜバリバリの文系の自分がこんなに得意なのかわからない。それでも、数独ってもしかしたら理数系より文系のほうが向いているのかもしれない、とは感じる。その根拠は何もないけれど、中学校の算数ですらかなり怪しく、まともにお金の計算もできない自分が得意なのだから、そうとでも考えないと説明不可能。

しかし、そんな或る意味、数独には絶対的な自信を持っている自分なのだけれど、この頃はほとんどやっていなかった。それでも常に(いつでもどんな問題でも余裕で解けるわ)みたいなイミフな自意識過剰状態なので、先日「これくらい解けるの?」とかなり難易度の高い数独の本を人から渡された時も、「解けるんじゃね?」と余裕をぶっこきながら受け取り、持って帰って解き始めた。

そうしたら、全然解けない。びっくりするくらい手も足も出ない。数独をやり慣れてる人ならわかると思うけれど、数独って場数をこなしていくと、入るべき・入れるべき数字が「見えてくる」。それが、長くやってないと何も「見えてこない」。脳味噌が凝り固まってしまっている感じで、自分でも焦るくらいマスが埋まっていかない。

この感覚には、正直ガッカリした。おめえダメじゃん、と思った。それでも、最初のうちは(でもこれくらいそのうち解けるやろ)と舐めてかかっていたけれど、全く歯が立たず、やがて(これじゃあかん)と気持ちを入れ直して、テレビを観ながらとかやめて、超集中しながら改めて全力で取り組んだ。そして、やがてどうにかこうにか解くには解いた。というか、かろうじて解けた、という感じで、途中で休憩したり、なんやかんやでイケイケの時の三倍以上の時間はかかった気がする。

それから数日間、全然やってないと解けなくなってしまうものだな、と思いながら、昼間の隙間時間や、普段ならダラダラとネットしたり録画してある海外ドラマや洋画を観たりゲームをしたりしている夜の時間に、ヘッドホンでバイノーラルビートを聴きながらひたすら数独をやった。とにかく、難易度の高いものに挑み続けた。そうしたらだんだん感覚を取り戻してきたのか、どんどん時間が短縮されていき、やがて入れるべき数字がぼんやりと見えてきて、どうにか以前のレベルくらいまで復帰できた。固かった脳味噌がぐにゃぐにゃと柔らかくなっていく感じ(あくまでも感じ)がした。

かなりレベルの低い話だけれど、この出来事を通じて、人間の思考なんて使っていないと呆気なく硬直して劣化してしまうのだな、と思い知らされた。だからなるべく普段から凝り固まらないようにアタマもカラダも解しておいた方がいいな、と思った。今回みたいに完全に凝り固まってしまうと、解すのがかなり大変で、疲れる。