新・旧

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最近、もう何度目かわからないけれど、チャンドラーの『ロング・グッドバイ』を読んでいる。チャンドラーは古いハヤカワ文庫版を全部持っているけれど、今読んでいるのは十年くらい前に買った村上春樹さんが翻訳した新書サイズの方。最近はこちらばかり何年かおきに何度も読んでいる。

この新書サイズの『ロング・グッドバイ』は、なんといっても「本」としての雰囲気がいい。手持ちの書籍の中でも五本の指に入るのではないか、と思うくらい良い。カバーデザイン、重量感、どれをとっても自分の好きなタイプの本。ぱっと見、海外のペーパーバックのようだし、手に持った時の感触がたまらない。なんかモノとしての佇まいが、「これが紙の本の良さだな」と思わせる。もちろんいくら本としての出来が良くても内容がクソなら意味ないけれど、これは「チャンドラー+村上春樹」という最強の組み合わせなので全く問題ない。

たいていの本は読む際にブックカバーを付けてしまうので、表紙のデザインとか、正直なところあまり拘らない。でも、この『ロング・グッドバイ』は別。とにかくデザインが良いから、これまで一度もブックカバーを付けたことがない。いったん読み始めると、毎回外へ持ち出しているけれど、この本に関してはカバーを付けたことがない。それは別に他人に見せたいとかではなく、寧ろ自分が見ていたいし、触っていたいから。カバーの紙の質が新書版の国産ミステリー本にありがちなツルツルして光沢のあるものではなく、上手く表現できないけれど、なんか良い感じの紙なので、手に携えているとその感触がかなり気持ち良く、ついついそのまま持ち歩いてしまう。

そして、何故だかわからないのだけれど、分厚い本というのは昔から妙にテンションが上がる。だからこの本も気に入っている。ただ、分厚ければ分厚いほど、それは長い話ということだから、読み終えるまでに時間がかかるし、持ち歩くとなると嵩張るのだけれど、好きなものは好きなのだから仕方ない。だから個人的には分冊反対派。どんな長い小説でも上下とかには分けず、一冊でドンと出して欲しい。結果、レンガみたいな本になってもぜんぜん構わない。寧ろ嬉しい。春樹さんの長編なんて文庫化の際、たとえば『1Q84』とか、ハードカバーは三冊なのに、えげつないくらい分冊してきやがって、あれは絶対に逆効果だと思う。自分はハードカバーで買ってるので別に文庫がどういう形態で出ても関係ないけれど、初めて文庫で買う人があの分冊ぶりを見たら(いったい何冊買わせる気だ?)とドン引きすると思う。

それはともかく、読書というと、以前ここでネタにした『夜明け前』は、結局一週間に一冊くらいのペースで、全四冊を約一カ月で読み終えた。巻末の解説でその理由がネタばらしされているけれど、確かに上巻と下巻では素人でも感じるくらい雰囲気が違っていたものの、ほとんどフルスロットルで読み終えてしまった。章立てが規則的なのでサクサクと読めたし、文体が古い小説のわりにシンプルだったし、何よりストーリー展開がダイナミックで面白かった。

ぜんぜん収束の気配が見えないコロナ禍でなかなか自由気ままに出歩けないこの時期、というかあまりにクソ暑すぎてどのみちどこへも出て行きたくないこの季節、読書は悪くないと思う。たいしてカネもかからないし、たとえばダラダラとテレビでしょーもないバラエティなんかを見るよりは、まあまあ有意義に時間を潰せる。「メシもない、弾もない、兵站もない、でももう決めちゃったからとにかく行けや」というまるで旧日本軍のインパール作戦のような我が国の新コロ対策では、どうせこのどんよりとした自粛ムードはまだまだ当分はズルズルと続きそう。

というか「Go」だの「Stay」だの国民は犬か? と。