ビビりすぎじゃね?

と、この頃よく言われる。もちろん新型コロナウイルスに対してだけれど、否定はしない。正確にはビビるというより、かなり警戒している。確かに致死率はたいしたことないみたいだし、年寄り以外は風邪に毛が生えた程度の症状で終わるかもしれない。でも武漢では三十代とかでも亡くなっている。

「つうかおまへ、インフルの時とか全然警戒しねーじゃん、なのになんで今回はそんなに警戒心マックスなん?」

とも、よく言われる。確かに、それも否定できない。毎年のように大流行するインフルエンザに対しては、何も警戒しない。予防接種も打たないし、どこにでも出かけていくし、普通に生活し、何の対策も講じない。ただ、それには理由がある。ひとつは、いろいろな型があるとはいえ、インフルは以前酷い奴に罹っているので抗体ができているだろう、という何の根拠もない、おそらくは間違っている自信。それと、インフルをそんなに怖がらない理由としてはこちらの方がメインだけれど、インフルには薬がある、という安心感。要は罹ったらゾフルーザを飲めばいい。これが大きい。そして、この点こそが新コロに対して恐れる理由。新コロには薬がない。

つまり現状、新コロにはインフルのように特効薬がない。特効薬どころか何の薬も療法もない。この不安感がハンパない。それに感染しても無自覚ということがあるらしいことも怖い。だからというわけではないけれど、未だ何の症状もないけれど、毎朝検温はしている。

自分の場合、基本的にいい加減な性格なので、大抵のことには(ま、なんとかなるやろ)という気持ちで対峙する。しかし100のうちの1くらいは、ありえないくらい慎重になる。石橋を叩いて渡るどころか、這いつくばって刷毛で表面を払って僅かな亀裂すらないことを様々な角度からルーペを使ってしつこいくらい確認して、そこまでやっても(やっぱ信用できんな)と判断すれば渡ることをやめる時がある。今回の新コロはまさにこのパターン。何をやっても信用できない。だから不安感というより不信感が強い。

何より新コロは感染力の強さが怖い。といっても、自分が感染することはそんなに怖れていない。なぜなら防御の方法がどうせいまいちよくわからないし、ここまで来ると(何をどうしたって感染る時は感染るやろ)というどこか達観というか諦観というかなかば自棄というか投げやりのような感覚があるから。では、何を怖れているかというと、感染したらどうなるのか? ということと、自分を介して知らない間に人に感染させてしまうこと、この二点。つまりは考えても仕方のない、どれだけ考えたって答えの出ないことに対して、勝手に怯えている。これは想像力の負の面。

やはり得体の知れないものは不気味。この不気味さが、新コロに対する恐怖心の正体。みんなこの不気味さが不安だから、世の中全体が情緒不安定みたいになってしまっている。

しかしこのところの円高傾向は微妙。いま、ハワイやグアムへ行けるならかなりお得だけど無理。逆に、ファースト・ハワイアン・バンクの口座に入れてあるささやかなお小遣いは円で考えるとみるみる目減り。悩ましい。

因みに今どこかへ行くのが無理と思うのは、行って向こうでもらってくることを怖れて躊躇するわけではない。寧ろ国内で空港へ行く電車や空港内や飛行機の中でキャリアと一緒になるのが嫌、という気持と、もしも自分が持っていってしまったら、という懸念が大きい。クラスタの発生源にはなりたくない。だからハワイだろうがグアムだろうが向こうに無事に着いてしまえば日本国内よりよほど安全だろう、という気はしている。ただ、道中に不安材料が多すぎる。

ところで、全然新コロとは関係ないけど、めちゃくちゃ久しぶりにカップ焼きそばのUFOを食べたのだけれど、なんか以前より美味くなっている気がした。どこがどうと問われると答えようがないのだけれど、食いながら(なんか美味くなってないか?)と思った。記憶の中のUFOより美味かった。まあ、気のせいかもしれないけれど。