唯一の基準

「こいつは信用できん」と判断する唯一の基準が、自分にはある。他にも信用できない基準はいろいろあるかもしれないけれど、とりあえずひとつは明確にある。

それは、必要以上に、ある面では嫌らしいというか厭味というか、逆に不遜な感じすら受ける「ホニャララさせていただく(いただきました)」という言い回しを使う奴。

もちろん正しく適切に使う場合は問題ない。たとえば、目上の大先輩から可愛がられて仲良くしてもらっている時に、人から関係性を訊かれて「親しくさせていただいています」みたいに使うなら、その言い回しで「信用できん奴」とはまったく思わない。こういうのは当たり前の使用法。

そうではなく、ふつうに「しました」で済むところで「させていただきました」と言う奴を、自分は人としてイマイチ信用できない。もちろんこれはあくまでも個人的な感覚なので、気にならない人を否定する気はないし、使いたい人は好きに使えばいいし、使用者本人にわざわざ「おまえは信用できない」と告げるようなことはしない。心の中で密かにそう思うだけ。いずれにせよ自分は、口や態度には出さないけれども、たとえば「寄付させていただきました」とか「立候補させていただくことになりました」とか「申し出をお受けさせていただくことになりました」とか、こういう風に妙に謙って言う奴は、きほん信用しないことにしている。必要以上に謙遜して言うのは、寧ろ逆に不遜に聞こえるし、実際こういう連中の多くはそう言いながら本心ではぜんぜん自分のことを謙遜なんかしていないと思う。まあ、自分が捻くれているだけかもしれないけれど。

それでも、そもそも前述の例なら「させていただく」なんて使わなくても、「寄付しました」「立候補することにしました」「申し出を受けることにしました」で充分。遜る必要なんか全くない。

あと、個人的にいちばんウケる言い回しが「ボランティアに参加させていただきました」的な言い回し。これはもう「ボランティア」なんて「寄付」とほぼ同じカテゴリの「布施」なので、変すぎる。つまり「布施行」はもともと他人のためではなく自分のためにするものなのだから、「させていただく」のが当たり前であって、「させていただいた」なんて公言したら価値大暴落。どうしても公表したいなら「ボランティアに行ってきました」に留めておいたほうがいい。

こういうことを言うと、逆に「面倒くせえ奴」と思われるかもしれないけれど、「させていただく(いただいた)」マンはどうしても信用できないのだからまあ仕方ない。ただ、中にはとくに拘りなどなく単なる丁寧語みたいなもののつもりで「させていただく」を使ってそうな人もいるみたいなので(正しくないけれど)、一概に使っている人全員を「信用できん」と切り捨てることはできず、そういう一部の人らに関しては他のファクターも参照しながら包括的に見て判断しなければならない。なので、正確にいうなら、「させていただく」マンは「ほぼ」信用しないことにしている、という感じ。

もちろん、そんな自分だから、正しい使い方の時と、わざと冗談として小馬鹿にする風味で使う時以外は、絶対に「させていただく(いただきました)」は、気持ち悪いので、使わない。

というか敬語(尊敬語・謙譲語・丁寧語)は使い分けがけっこう難しくて、用法を間違えると馬鹿だと思われるので、よほどの相手(絶対に尊敬語を使うべき相手)以外は、最初から「です」「ます」の丁寧語を使っておいた方が無難だと思う。たとえば、有名な例だけれど、相手の名前を確認する際などに「〇〇様でこざいますね」と「〇○様でいらっしゃいますね」みたいに、実は使うべき相手の属性が決まっていて、違いが明確にあるので気をつけなければならない言い回しがある。これを間違って使うと、細かい人には馬鹿認定されてしまうので、この場合でも間違った使い方をするくらいならはじめから「〇〇様ですね」と丁寧に言っておいた方がいい気がする。実際自分はまず「謙譲語」って使わない。敬語を使う時は「尊敬語」か「丁寧語」。なぜなら、「謙譲語」は嫌いということもあるけれど、基本的に細かい使い分けに自信がない。

だいたい極端な話、もしも天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下とお会いする機会があったら、もう「尊敬語」しかあり得ないわけで、「謙譲語」なんか使う奴がいたら「おまえ何様や?」と思ってしまう。天皇陛下を相手に自分が謙る必要なんてないどころか、下にいることが当たり前。しかし、ちゃんとした「丁寧語」なら、たとえ相手が天皇陛下でもそれほどの失礼にはならない気がする。これが天皇陛下ではなく総理大臣だったら、大人としての最低限のマナーとして最低限の「丁寧語」では接するけれど「尊敬語」なんて絶対に使わない。遜る必要も全くないので「謙譲語」もナイ。今の総理大臣に「尊敬語」を使う奴なんて、何かしら直接的にあいつの影響下にいて、身近で下にいる奴だけだと思う。

要するに、個人的に、謙譲語はもう日本語として廃止してほしい、と思う。