急に胡散臭い

まあこの国のコロナ対策では毎度のことでもあるのだけれど、この頃急に行政もマスコミも徒党を組むように「マスクを外せ外せ」と言い出していて、なんとなく胡散臭い。熱中症云々と言っているけれど、もう今度で3回目のマスクの夏だし、いちいち言われなくても、いいかげんみんな学習しているだろうから、苦しい時は「してろ」と言われても外すに決まっている。なので実際のところ、この怪しい動きの目的は別にありそう。この先、外人を入れだしたら連中はマスクなんかしないに決まっているので、大きな摩擦が起きにくいように先手を打っておこうという薄っぺらい思惑が透けて見える。入国制限の緩和に関しては、感染状況を見ながら云々と言っているけれど、どうせ「入れる」というのはもう決定事項で、いつものようにこの国の新コロ対策は常に先に結論ありきで、ゴールポストを都合に合わせて動かすのは得意中の得意だから、この流れはもう仕方ない。今後じわじわと感染者数が増えても「もうそんな数字を気にしても仕方ない」という世論をうまく利用しながら、のらりくらりと交わしつつ、去年の夏のオリパラの時のように、じっと息を殺して解禁日を待ち続けるはず。いざとなれば検査数を減らせばいいだけ。検査しなければ感染者も出ない。一日に二万人も入れだしたらもうちゃんとした検査や検疫なんて無理だろうし、水際大開放は不可避。水際対策に関しては、東京と北京のオリパラを見比べれば本気度や徹底度の違いは一目瞭然。日本なんて世界からナメられているし、口だけで何もしない・できないとバレてしまっている。

またマスクに関しては「国の偉い人が外すように指示してくれ」みたいなことをいう人もいるけれど、君らはポチか? と。諸外国と違って日本のマスクは義務でも法律で決まっていて罰則があるわけでもないのだから、そもそも「撤廃」というワードは存在し得ないし、外したければ、自分の判断で外せばいい。そんなにお上のお墨付きがないと行動できないなんて、どうかしている。だいたい、行動制限がかけられている時だって、言うことを聞かない奴はいくらでもいたのに、マスクの着脱だけに許可を欲しがるなんて、都合が良すぎる。

そもそも政府の人とかの「外で、人との距離が確保できる時は必ずしもマスクは必要ない」という言い方がとにかく曖昧で小狡い。結局、責任の所在を個人に放り投げている。ド田舎ならともかく、街の繁華街でそんな状況があり得るか? と。外を歩いている時にいちいち他人との距離を測って着けたり外したりしろ、なんて無理に決まっているし、そんなのは全く現実的ではない。飲食店では飲んだり食ったりするときだけマスクを外して、喋る時などはマスクを着けましょう、というアホみたいな「マスク会食」と同じくらい非現実的で、単なる「やってる感」しか感じられず、こんな指示の仕方では、かえって混乱するだけ。例えばクソ暑い日に、友達と何人かで外を歩く時は、距離が保てないし、どうせ喋るだろうから、いくら熱中症の危険があってもマスクを外すことは好ましくない、ということになる。で、そうなると、なんやかんや言ってもノーマスクはジロジロ見られるし、たいていの人は、だったら着けたり外したり面倒くさいからずっと着けとくわ、と言うことになり、その結果、外でのマスクのせいで熱中症になった人が出ても、お国の側は「だから外してもいいって言ったでしょ」という逃げ道に逃げ込んで知らん顔できる。だからといって「外では外してください」と言い切ってしまうと、それで感染者が増えた時に「お前らが外せって言うから外したのにコロったじゃないか」と批判されるに決まっているから、絶対にそういうことは言わない。日本では法的に「言えない」のも確かだろうけれど、それをうまく利用している感がある。

根本的には「きちんと感染対策をしたうえでの行動制限なし」というのも同じ。あくまでも責任の所在を個人に放り投げて常に逃げ道を確保している。これでもし感染が拡大すれば「ちゃんと対策してと言ったでしょ」と言えるし、とくに悪化しなければ「行動制限なしで正解だった」と得意げになれる。どちらにせよ「日本は法的に何も強制はできませんから」という伝家の宝刀を一閃すればどうにでも有耶無耶にできる。

結局、コロ助に対する対応に関しては、良いも悪いも絶対の正解はなく、自分で判断するしかない。だいたい、一時期アホみたいに煩かった「マスクはウレタンや布ではなく不織布にして」という強めのアナウンスも、今やもうグダグダで、街にはまたウレタンとか溢れてきているのに、なぜかもう何も言わない。その点だけでもお国のアナウンスなんて全く信用できない。

マスクなんてああただこうだと別に難しく考える必要もなく、臨機応変にシンプルに、人がいるところでは着ける、いないところでは外す、着けたくない奴は勝手に外せ、その代わりマスクしないなら他人に近づくな喋るな、で充分。大の大人がたかがマスクで揉めるなんて馬鹿馬鹿しすぎる。マスクを外したければ態々「マスクを外そう」と声を上げる必要はないし、「そろそろみんな〜」と周りをも巻き込もうとせず黙って勝手に自分は外せばいい。外すこと、外したことをいちいち主張する必要はない。もちろん着用し続ける人もそれを声高に主張する必要はない。ただ個人的に、顎マスクや鼻出しマスクは見た目が壮絶にダサくてみっともないと思っているので、絶対にやらない。自分の中では、着けるなら着ける、外すなら外す、選択肢はそれだけ。例外的に外でマスクを顎にずらすのは、道とかでペットボトルの飲み物を飲むときとか限定。因みに何か食う時は、ずらすのではなく外す。そしてもちろん暑くて苦しい時は、さっさと外す。もしも周りに人がいて外しにくい時は、人のいないところへ行くだけ。

誤解されないように付け加えておくと、こういう曖昧さは日本の良い点なので、ちゃんと謙虚に巧く運用するなら何も問題はない。ソープ街の入り口に交番があったり、憲法戦争放棄を謳いながら世界でもトップレベルの軍隊を持っていたり、ふつうに考えたらおかしいのに、それなりにうまく回っているのは、どう考えても日本の良いところ。