ローガンキョー

何年か前から老眼が始まり、ほとんど進行はしていないのだけれど、それが発覚して以来、ちゃんとした眼鏡を作る時のレンズは遠近両用にしている。しかし、まあまあちゃんとした値段のモノはけっこうゴツい眼鏡が多いし、レンズに色が入っていたりするので、家の中で使うのはちょっと鬱陶しい。なので家用は適当なジンズとかの軽くて細めのフレームで、レンズは普通の色なしの近視用。そのため、しばしば手元の細かい文字が読みづらいという事態が発生する。

しかしド近眼の老眼というのは、けっこう面倒くさい。というのも、遠近両用のレンズなら問題ないけれど、手元だけちゃんと見えりゃええ、という時に、普通の老眼鏡では用をなさない。外国人なんかだと遠視の人が多いのか、映画やドラマで、若くて綺麗な女の人なんかが手元を見る時だけリーディンググラスをかけるというシーンをよく見るけれど、ド近眼だとアレができない。近くを見る時だけ、さっと眼鏡をかけるのって、仕草としてなかなか格好いいと思うのだけれど、その用途を満たすド近眼者向けの老眼用レンズってない気がする。なのでこころ旅で火野正平さんが使っているクリックリーダーが、真似したいと思っても用をなさず使えない。

というのも、クリックリーダーのようなちゃんとしたモノではなく、今なんか100均でも老眼鏡ってまあまあオサレなモノがたくさん売っていて、ちょっと使うだけなら充分のような気がするのだけれど、裸眼でどれを掛けてみても、ぜんぜん合わない。むしろ手持ちの古くて度数の弱い眼鏡の方が、近くはよく見える。つまり、古い眼鏡って近視用のメガネとしては遠くがボケるのでもう役に立たないのだけれど、近くを見る用に、それを老眼鏡的用途として使うならアリ。因みに眼鏡屋さんの人も古い眼鏡をそう使うのはアリと言っていた。

実際、自分は貧乏性なのか、何でもやたらと物持ちが良いので、20年以上前くらいの眼鏡でもまだ余裕で持っている。しかもけっこうちゃんと手入れして保管しているので、古くても普通に掛けられる。ただ眼鏡って、ツルを自分で調節しようとしたり踏んだりしたりしてどこかが折れて捨ててしまっているパターンが少なくないので、全部が全部残っているわけでもない。それでも残っているモノは、パンツ(ズボン)の腹回りなどと違って顔の大きさなんていくらも変わらないので、サイズ感は古くても問題ない。単に古い眼鏡は度数が合わなくなっているだけ。しかしその度数の合わなさが、老眼鏡として使うなら、逆に好都合。しかもガチで古いと、フレームがもう存在しないブランドだったり、なかには中古市場でビンテージ扱いされたりしているモノもあったりして面白い。

因みに、これは今パソコンでカタカタと書いているのだけれど、クッソ古い眼鏡を掛けてタイプしている。ディスプレイを見るにはちょうど良いけれど、このままだと遠くは見えないし、車やチャリの運転などはできないけれど、数メートル先のテレビを見るくらいなら余裕。コンビニとかは、ぶらぶらと歩いて行くのはいいけれど、店内で商品がよく見えないので掛けては行けない。それでも、本を読むとかなら、小さい字が正しい距離で読める。ふつうの家用の眼鏡で本を読むときは、老人みたいに本を遠ざけたり、眼鏡を額の上へずらすように外して載せ本を目に近づけたりしないと細かい字が読みにくいのだけれど、古い眼鏡ならそのままふつうに読める。