あんた、死んだの?

ある夜、同級生(女)から電話がかかってきた。で、開口一番「あんた死んだの?」と言われた。

「アホか、生きとるわ、喋っとるやろ」

そう答えると「ははは」と笑い「そりゃそうだ」と言った後、続けた。

「今さ、何故かあたし同窓会の幹事の一人になっちゃって、よく使い方がわからんままにラインとかでいろいろ連絡とってんだけどさ、そしたら、あんた死んでたのよ(笑)」
「なんだそれ」
「あんたは知らんと思うけど、あんたと名前がほとんど一字違いのような子が同級でいてさ、その子が死んでいて、そのお知らせみたいなページがあって、誤字というかあんたの名前で死んだことになっていたのよ。だから一応聞いておこうと思って」
「聞くまでないやんけ」
しょっちゅうというわけではないし滅多に会うこともないけれど、結構定期的に「最近どう?」みたいにしょうもないことを喋る仲なので、そう答えた。因みにうちらは中学の同級生。
「まあね。だから名前の字が間違ってるって伝えておいた。そしたら向こうもすぐ気づいて修正した」

そんな会話の後「同窓会、来る?」と言うので「うちら一緒のクラスになったことないやん」と答え「行くわけない」と断った。その回答に「だよねー」と同意し「ただ一応誘っておこうと思って」と言った。「でも、同級生と連絡を取るというけど、名簿とかあんの?」と訊くと、「ない」とあっさり言われ、「でも男子なんかは特に地元にいる子が多いからいくつかの起点からラインとか辿っていくと、なんとなく繋がってる。たとえば、もしも誰かがあんたを探す場合、たぶんあたしから繋がる、他にもいるかもしれんけど」
「なるほどね」

この女子とは中学以来ずっとなんとなく友達(惚れた腫れたは全くない)なのだけれど、一緒のクラスになったことはない。では何故友達かというと、いわゆるクラスタ的にクラス分けを串刺しに無視した今で言うところのヤ○キークラスタみたいなものにうちらは属していて、チンタラとつるんでいた。それがなんとなくズルズルと続いている。尤もたとえ一緒のクラスだったとしても同窓会にはたぶん行かない。というのも地元の仲間は古い奴だと小学校から友達というのがいるくらいなのだけれど、基本的に交友関係は「狭く深く」なので、同級生といっても、もしかしたら向こうはこっちのことを覚えていても、こっちとしては殆ど知らないというパターンが多く、クラスにしろ学年全体にしろ、同窓会なんか行っても知らない人が殆どで居心地の悪い思いをすることがわかりきっている。というか単純に、たとえば「中学三年の時のクラスメイトを覚えている?」と問われても、ひとりも思い出せない。何かヒントみたいなものを出されたら思い出すかもしれないけれど、そうでなければ無理。

それはともかく、この後、その女子が気になることを言った。
「実はさ、今こういうわけでラインとか辿ってるんだけどさ、うちらの同級でもう七、八人死んでるんだよね」
「マジで?」
「うん、あんたの周りはどう?」
「いや、誰も死んどらんし、みんな一応健康そうだぞ」
「でも中学の同級生としては、死んでるのよ」
「病気とか事故とかで?」
「それもあるみたいだけど、なんとなく自殺が多い感じ」
「自殺⁉︎」
「あんたと似た名前の子も自殺、幼稚園か保育園か、まだ小さい子がいるのに」
「ふうん」
「で、他にもいるんだけど、その内のひとりはさ、一ヶ月くらい前に会ってるんだよね」
「男? 女?」
「女、で、山の中で首吊ったらしい」
「なんで?」
「なんか親の介護でノイローゼだったらしい」
「おまえ、知ってたの?」
「介護してるのは知ってたけどまさか自殺するほど悩んでいるとは全然気づかなかった」
「ふうん」
それ以上何を言えばいいのかわからないので曖昧に相槌を打っておいた。他人の内面なんて、よほど親しくてもわからないものだし、下手すりゃ親兄弟でも怪しい。人の家のことは、外からはわからない。上手くいっているように見えても実はぐちゃぐちゃ、なんて別に珍しい話でもない。外面と内面が全然違うなんてことはふつうにある。そんなことをふと思いつつ、言った。
「まあ、そういう人が死ぬ話はまあええわ」
「そうだよね」
「引き寄せると嫌だし」
「確かに」

そんな感じでダラダラと話をし、最後に、互いに相手の両親のことを知っているので「どう? おじさんとかおばさんとか 元気?」みたいな話をして、「じゃあ、また」と通話を終えた。

しかし、ちょっとこの「同級生が死んでいる」という事実は衝撃的だった。なんとなく(そろそろ死んでいる奴がいるかな?)と思うことはあったけれど、現実として突きつけられると、なかなかヘヴィなものがあった。二十代の頃に、あんまり親しくない同級生がひとり交通事故で死んでいて通夜や葬式にも行っているのだけれど、その時より今回の方が心にずっしりと響いた。それはたぶん、それだけ「死」というものが年齢的に二十代の頃より現実味を帯びてきているからだと思う。考えてみると、そこそこいろいろな葬式には行っているけれど、友達関係の葬式というのは未だ嘗てその一度しか経験がない。もしかしたら付き合いのない同級生なんかの中にはもう死んでいる奴は何人かいて、たまたま自分が知らないだけかもしれない。

ぶっちゃけ年がら年中「別にいつ死んでもええわ」みたいなことを口では言っているけれど、正直まだ死にたくはない。不治の病とかに冒されたら仕方ないけれど、たとえ何かに追い詰められても、少なくとも自殺する勇気はない。死ぬのは怖いから、なんとかして生き延びようとあがくと思う。というか心のどこかに常に、生きてりゃそのうちなんか今よりいいことがあるんじゃね? みたいな諦めの悪い思いがどうしても消し去れない。未練がましいというか、なんかもう何もかも嫌んなってきたな、と厭世的に思うことがあっても(しょっちゅうだが)、もしかしたら近々宝くじが当たって沖縄と八ヶ岳に家を建てて自由に往き来しつつ美女を囲いながら隠居できるかもしれんぞ、とか思うと、いま死んだらもったいない、という気分になってくる。ま、当たるわけはないのだけれど。