わたしは泣いたことがない

歌の歌詞ではないけれど、自分はほんとうにあまり泣いたことがない。さすがに親しい人やワンコが死んだりした時は泣くけれど(それでもかなり限定的だけれど)、少なくとも本を読んだり映画やドラマを観て悲しい気持ちになったり感動したりして泣いたことは一度もない。そういうフィクションに没入できない訳ではなく、いい話だな、と思うことはあっても、泣くところまでは絶対にいかない。口では「感動した、泣けた」とか言っても実際に泣いてはいない。本とか映画とかの場合、感動することはあっても、それより先に(よくできてるわ)と感心してしまう。

なので、よく本や映画の感想などで「泣いた」とか「涙腺崩壊」とか見るけれど、ほんとかいな、と思ってしまう。それくらい感動した、という意味ならわかるけれど、たとえば本を読みながら泣く人なんか実在するのか? と思ってしまう。百歩譲って、いるとしても、それにしても本気で泣くことなんてあるのか、と不思議に感じる。それでもまあ、世の中には「本を読んで泣いた」とか「映画観て泣いた」という人がたくさんいるので、この広い世界のどこかには泣く人も実在するのだろう、とは思う。

とかいいながら、こんな自分でも、かなりギリギリを攻められたヤバいフィクションはある。それはふたつあり、いい歳ブッこいて恥ずかしいのだけれど、どちらもアニメというかアニメ映画。もちろん泣いてはいないけれど、ひとつは「もう観るのは無理だ」と思ったというかすごく辛い感じに突き落とされたし、もうひとつはけっこうエッジまで追い詰められてゾワゾワっと鳥肌が立って泣くというか涙が滲みそうになるギリまでいった。

ちなみにそれらは何かというと、前者は「火垂るの墓」、後者は「さよなら銀河鉄道999」。

火垂るの墓」は、ずいぶん前にテレビで観たのだけれど、観ているうちにだんだん辛くなっていき、妹が完全に弱っていくあたりから「もう勘弁してくれ」という感じになった。兄妹が疎開先の田舎で弾かれているくらいまではまだ耐えられたけれど、ふたりで街に出てきてからがキツすぎ。これはほんと、テレビで一度観ただけで懲りたというか、何度も放送されているけれど、とにかく問答無用で辛すぎるので、その一回以外は観ていない。つまり「火垂るの墓」は感動して泣きそうになったというより、切なすぎてかわいそうすぎて辛すぎて観られない。

さよなら銀河鉄道999」は、逆にシンプルに感動して、泣く一歩手前まで追い詰められるパターン。で、この映画の中の何がヤバいかというと、とにかくエンディングのメーテルと鉄郎の別れのシーンに尽きる。ラーメタルの駅でメーテルに「先に乗っていなさい」と言われて999に乗っていた鉄郎が、やがて走り出した列車の中から窓の外をふと見るとプラットホームにメーテルがいる……ここで鳥肌が立ちまくり。こちらは「火垂るの墓」と違って何回となく観ているけれど、毎回この場面でヤバくなる。メーテルの「時の流れの中を旅する女」というセリフも格好良すぎる。

999の映画は一本目の出来が良すぎるので「さよなら」は蛇足みたいによく言われるけれど、それはそれとしても「さよなら」は「さよなら」で自分は好き。ただ三作目の「エターナル・ファンタジー」はクソ。あれはほんとうに作らない方が良かったレベル。超999好きの自分が見ても、エターナルは要らない。エターナルで良い点は、時代の進化で絵が綺麗になっていることとアルフィーの主題歌がイケてることくらい。999の主題歌といえば、EXILEがカバーしたバージョンもいい。ゴダイゴとはベクトルが違うクールなカッコ良さ。というか999と関係ないけれど、K-POPとタメがはれる日本のエンタメって男だとEXILE系くらいしかいない気がする。女は全く歯が立たない。Kの圧勝。ただ男も女も、歌って踊れるポップアイドルの分野では殆ど勝ち目がないものの、ロックバンドとかシンガーソングライター系は日本の圧勝っぽい。というか韓国のロックバンドとか全く知らない。

それはともかく。

火垂るの墓」にせよ「999」にせよ、実写ではなくアニメだからこそ刺さる気がする。どちらも実写の映画や舞台があるみたいだけれど、観たことはないし、別に観たくはないし、仮に観たとしても、アニメみたいに刺さることはなさそう。現実の人間が演じると、たとえそれが素晴らしい演技だったとしても、感動するより先に(よくできてるわ)と感心してしまうと思う。

まあ自分の場合、要するにザックリ言ってしまえば、薄情なのだと思う。とりあえず親族・友人・知人など自分の周りにいる人が死ぬことを想定してみた時、泣くのはおそらく両手の指で足りてしまいそう。