たぶん困らない

先日、親戚のおばさんが亡くなり、夜中、斎場の控え室でイトコの姉ちゃんたちと思い出話みたいなことを喋りあいながら、おばさんの写真のプリントを見ていたのだけれど、写真って写し方でかなり印象が変わってくるので、「これはおばさんっぽくないな」とか「オレの中のおばさんはこのイメージだわ」とか、色々な写真でひとしきり盛り上がった。

で、そんな風に勝手なことをみんなで言い合っていたら、「おばさんのイメージはこれだわ」と自分が言った写真を、姉ちゃんが「じゃ、これを遺影写真にしよ」と決めた。思わず「そんな大事なもんをオレの意見で決めていいのかよw」と言ったのだけれど、「いい、いい、うちらじゃもう何がいいかよくわからんし、あんたが選べばお母さんもあの世で喜んでるわ」と姉ちゃんは言い、本当にそのまま採用されてしまった。

しかし、じじいが死んだ時も思ったのだけれど、遺影写真ってなかなか選びにくい。結局、じじいのも自分が選んだのだけれど、なんか、いろいろな写真をたくさん見れば見るほど何がいいのかわからなくなり、どれも「帯に短し襷に長し」な感じがしてきて、選びにくかった。やっぱ遺影用の写真は、本人が元気なうちに選んで用意しておくべきだな、と思った。

と、そこまで考えた時、もしかしたらこういう悩みもうちらの世代以下だと無縁になっていくかもしれんな、と思った。というのも、うちらって無意識のうちに遺影として使える写真を既に用意している可能性が高いから。なぜなら、いまの時代、男も女も多かれ少なかれアプリで盛った、写りの良い自撮り写真を電話の中に持っていそう。おっさんの自分ですら「こいつ誰やねんw」みたいなイケてる自撮り写真が何枚もカメラロールの中にある。

だから、いざという時にはそれを遺影に使ってもらえばいい。この手の自撮りは、男女問わず誰でもかなりイケてる雰囲気だろうから、そのまま遺影として使いやすいはず。よって、これから死んでいくうちら世代以降は、たぶん遺影の選択にはあまり困らないような気がする。

これって何気に、スマートフォンが普及した利点のひとつのような気がする。