なるべくやらないように

携帯の使い方に関して、一応常に意識していることが、ふたつほどある。

ひとつは、当たり前だけれど「歩きスマホ」。これはもう普通に論外というか、危ないし、何よりダサく見える。歩きだけでなく、車の運転中はいうまでもないけれど、チャリに乗っている時まで、あの小さい画面を凝視している様は、どこか異様。ひたすら一人で携帯を見ながら移動している人を見ると、人混みの中で他人と目を合わせることが苦手な対人恐怖症の亜種のように思えてしまう。

確かに、ひとりで大勢の人々が行き交う路上などを歩いている時って、目線の置き場に困ることはある。そういう時に携帯の画面に逃げると楽かもな、とは思う。でも、オッサンとかが路上の一角にわらわらと集まり、しかしそれぞれ勝手にひとりで必死に、たとえばポケモンなんかを集めている光景って、ふつうにちとキモい。同じことでも、子供らがワイワイやりながら遊んでいるぶんには微笑ましいけれど、歳食ったらやめておいたほうが無難。

だいたい、一刻一秒を争うように四六時中携帯の画面を見ていなければならない理由って何なのだろう、と単純に不思議に思う。別にそこまでして見たいものなどない自分なんかは、いったいそんなに何見てんだろ、と。このまえなんか、混んでるトイレでオシッコしながら見ている奴がいて、そこまでして見たいか、と思ってしまった。

ただ、「ながらスマホ」に関しては、正直、時々微妙な事をやらかしてしまうことはある。馴染みのない場所へ行った時などに、自分の居場所や行き先を確認するためにマップアプリを開いてしまう。それでも、混雑している場所で歩きながらは見ないし、一応周囲の状況を見回して、人の流れから外れた場所で立ち止まって画面を見る。あと、電車やバスなど公共交通機関を利用する際に時刻表アプリも見てしまう。でもまあ、その程度。いずれも歩きながらは見ない。とりあえず、人の流れから外れて立ち止まる。なぜなら、単に普段やりなれていないので、転びそうで怖いから。

しかし、英語発祥だろうけれど、『スマホゾンビ』とはうまいこと付けたな、と改めて思う。夜の路上で電話を見ながら歩いている奴って、顔だけが画面の光で白く光って、まさにゾンビ。

そしてもうひとつは、人とメシを食ったりお茶したりする時に、何はともあれ席についてまずテーブルに携帯を置く、という行為。なんでかわからないけれど、個人的にこれを誰かにやられると微妙にイラっとするので、自分ではやらないようにしている。人と会う場合は、基本的に電話はポケットか鞄の中。